学術的な観点での井伊家の歴史がわかる、ということで購入しました。直虎関係の入門書は読み終わってさらにディープなところを読みたい人にはお勧めです。

 

嶺田井伊家の話をきっかけにBlogを始めた身としては、この関係にも興味津々でした。

この関係とその周辺だけざっとまとめると、次のようです。

 

1. 吾妻鑑等に出てくる井伊の介は、嫡流(〇直、のようにあとに「直」がつく)に加えて庶子家(直〇のように先に〇が付く)が多かったようだ。

  日向ヶ谷井伊家( 華厳院が日向ヶ谷にあることから、嶺田の土地を寄進した井伊家をこの本では「日向ヶ谷井伊家」としている)も庶子家の一つであろうと推測される。

2.井伊氏は水運の支配者なので、浜名湖畔から中遠まで行き来できた可能性は高い。

3.吾妻鑑等では、井伊氏は横地・勝間田氏とセットで出てくることが多い。

4.横地・勝間田氏が 今川家と争った際(横地城攻め・塩買坂の戦い)の井伊家の動向は不明だが、嶺田に勢力があったのであれば無関係な可能性は低い。

5.1517年に井伊千代寿と井伊泰勝が那智大社実報院に寄付していること、その後井伊泰勝に「尤も新野に我々も参り」と道春(姓不詳)が書いていることから、新野近隣に熊野神社を建立しようとしていたようだ。

 

残念ながら5は遠州熊野三山のうち那智新宮社に相当する「遠州笠原庄一宮 高天神社高松神社」が新野の隣(秋貞郷なのですが、遠州風土記傳でさえ「郷名不詳」と記載するぐらいなので)を失念した記述です。しかし、他の話には影響なく非常に参考になります。

(12/20 訂正しました)

 

最近の話題の 直虎 が 男だったかどうかについては、当然可能性は否定されていません。とりあえず、(新資料で直虎の親とされる)関口氏経はたぶん関口家、というところや、嫡流は西国に行って行方不明、とからなので、わからないことだらけといったところでしょうか。

 

(新資料については、個人的には新野家の周辺事情のほうが気になるのですが)