謎は解けることがある・・・・・がそれがよいことかどうかは、わからない。

 

 

 

「菊川市にはお稲荷さんがない」を報告した前回の記事について、さらに確認をおこなったところ、この謎はほぼとけたと考えています。

 

1.神社に稲荷の祠が併設されている、との指摘が浜松の方からあり、確かにあちこちの浜松の神社の記事をチェックすると、そこかしこに稲荷の祠が。

  同じものは菊川市内の神社ではみたことがありません。
 

 

2.荼枳尼天(だきにてん) と習合することにより、お城の鎮守として  あちこちのお城に祀られます。掛川城もその一つ。横須賀城近隣にも存在を確認。

 

・・・・ここまではOK.。

 

3.商売繁盛の神様として、「熱心に拝む」という信仰が発生。これは、土地神/地の神様信仰から直接発展したわけではなく、すでに存在する稲荷社を分祀することによりどんどん増えていったと思われる。土地神/地の神様信仰の弱いところではこれを吸収していったとみてよいと思う(根拠ないですが)。 地域の稲荷信仰が増えると、神社にも続々と稲荷の祠が増え、単独の稲荷も増えると推測できる。

 

4.霊狐伝説のあるところでは、そこを3の信仰者が稲荷化するという事例も発生。

 

そして、4の証拠として、なんと高天神城にも落城後400年を経て昭和62年になってから稲荷社が成立していた、という記事を発見。

 

曰く、戦乱の世に小笠原与左衛門が尻尾の白い狐を射止め、それによって神通力を奪われた狐が、四百有余年間、昭和六十二年 十二月十六日 「尾白稲荷大神として醒誕」したそうです。

 

 

そしてこれにより導かれる結論はなにか、というと、

・浜松等は商売が盛んで人の移動が激しいので、稲荷信仰が普及した。

・高天神城の高天神社も(かなり遅いが)同じ。

・そして菊川市に普及しなかったそのわけは

・・・・・ 商売が(いまも)盛んでないから・・・・・

 

 

・・・・・・・なんてこった。自分でORZと綴る日が来るなんて。