「先祖が井伊家の元家臣」の友人の家では、お稲荷さんを大事にしていたと聞きました。戦国未来さんの記事でも「井伊谷に稲荷社があること」「奥山神社も稲荷社があるらしきこと」がわかりますので、井伊家関係では一般的なのかもしれません。

一方、私の出身の菊川市内では、稲荷社を見たことが一度もありません。「稲荷部」(いなかんベ/旧菊川町)という地名があるにもかかわらず、webで検索しても見つけられません。

最も近くで発見できるのは、御前崎池新田ですが、ここは戦国時代はまだ池だったはずです。次は掛川市の三光稲荷と袋井市の龍巣院ですが、どちらも他地域からの由来がありありとしています。特に三光稲荷は、「山内ー豊」が、「掛川城の鎮守」のため設けたとされています。

ー方、中遠では「屋敷の守り」といえば「ぢの神様」(地の神様)です。お地の神様信仰と稲荷信仰は元は同じものだったので、稲荷社がない、ということかもしれません。


なお、友人の先祖は掛川藩にいたはずなので、井伊谷ではなく、三光稲荷の影響なのかもしれません。

参考:http://mitsuke-tenjin.com/jinokami.html
見付天神 矢奈比賣神社においての「地の神様」のまつり方
三光稲荷:http://tofu1510.pro.tok2.com/shutugennookitunesama.html