久しぶりに図書館に調べものに行った際、小和田和男先生の論文「今川家崩壊の一過程」に遠州忩劇の過程が詳しく出ているのに気付きました。
頭の中が混乱してきたのでちょっと整理。
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永禄5年(1562) 井伊直親 掛川で死亡
永禄6年(1563) 堀越氏 武田氏について反乱
今川軍 三浦義鎮等これを攻める
飯尾連龍 堀越氏について頭陀寺城で戦う(*)
頭陀寺松下氏 飯尾氏につく
堀越氏 敗北
飯尾氏 今川と和解
永禄7年(1564)4月 飯尾氏 徳川家康と通じる
今川氏真 三河を攻めようとするが、(飯尾氏による?)白羽出火事件で断念。
永禄7年~8年(1565) 中野氏・新野氏 飯尾氏を攻める
徳川氏 援軍30騎派遣
小笠原氏参戦
新野親矩 死亡
飯尾氏 今川と和解
永禄8年(156 飯尾連龍 謀殺
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これによると頭陀寺城の炎上は、新野・中野氏の参戦の時ではなく、その前ですね。
松下之綱の父 松下長則は、今川氏の後 北条氏につかえその後武田信玄につかえたとなっているので、炎上時に逃げたものと思います。
武田信玄は、駿府攻めのときにあちこちに、「氏真亡き後は、あなたを今川氏に」と言って裏切りを誘っていたとのことですが、同じ手で堀越氏も引っかかっていたとは。
大河ドラマで、このへんがどこまで書かれるかは見どころの一つです・・・・・・・が面倒すぎて飛ばされそうな気が。