田沼意次のことについて調べていたら、牧之原市のHPに年表がのっているのに気がつきました。

http://www.city.makinohara.shizuoka.jp/bg/profile/ent/1100.html

南紀徳川史にある田代+菅沼 説は採用されていません。興味を惹かれてさらに検索していくと西尾忠久氏(故人)のBlogにたどりつきました。


田沼意次の父
http://chuukyuu.info/who/edo/2009/03/post-7a2d.html
田沼意次の父(2)
http://chuukyuu.info/who/edo/2009/05/post-c545.html
田沼意次の父(3)
http://chuukyuu.info/who/edo/2009/05/post-8aea.html
田沼意次の父(4)
http://chuukyuu.info/who/edo/2009/05/post-cef9.html


順番を入れ替えてざっとまとめると、田沼意次の父 意行は、
(1)田代家の養子「田沼意行」として江戸城入りした。(2)菅沼半兵衛の実子で、田代+菅沼で「田沼」との説明だった、
(3)ところが、菅沼半兵衛の家系図にはでていない、
隠し子か?

牧之原市の説明「もともと田沼だった」とあわせると、こんな解釈でしょうか。
(1)紀州藩から江戸入りするに当たって、それなりの由緒が求められた。
(2)先祖は足軽だったので、由緒のある田代家の養子とすることにした。
(3)さらに「田沼」を説明するために、上司の菅沼半兵衛の名前を口裏合わせをして借りることにした。(菅沼半兵衛は南紀徳川史によると鉄砲部隊のトップだったので、鉄砲で採用された先祖の上司にあたる)

牧之原市の年表は地元の研究家の成果が反映されていると思いますので、もっと面白そうな話がありそうです。今後おいおいしらべていきたく。