遠州高天神記によると、高天神衆 松下助左衛門範久如伯入道は、馬伏城近くに住し、ここは松下村と呼ばれた、とのことです。

このことは、遠州国風土記伝にも松下村の記載があり裏付けられます。

 

範久の一族は、系譜上はなぜか高長につながっていませんが、下記から見て同じ一族であることはほぼ確実です。

(1) 頭陀寺松下氏のざいしょはこの「松下村」である旨 遠州国風土記伝にあること

(2) 松下源太郎清景、松下常慶の姉妹の一人と結婚していること


松下助左衛門範久は、郡代に就任しており松下村の支配者だったことはほぼ確実と思いますが、残念ながらその戦功は明らかではありません。


「平川で還俗した松下高長」の一族(頭陀寺松下氏を含む)を追っている私としては気になる人物ですが、エピソードがないのは困りものです。

 

南紀徳川史では、1700年ごろに本家は幼少により断絶した旨の記載があります。分家は残ったようですが。

 

・・・・1700年頃から紀州の地主であった 同じ苗字の某有名企業創業者の先祖?? 頭陀寺と同じ一族なら家紋は四ツ目ですが、もし何等かの理由(例えばおとりつぶし)で蔦紋をもらっていれば?