井伊直親の居館があったのは祝田(ほうだ)で、国土地理院の地名検索でもここしかでてきません。

 

ところが浅羽(静岡県袋井市)にもなにか祝田の記載がある、、、、と思ってみていたら浅羽氏が 祝田 に観音堂を立てた旨の記載が。

 

これは祝田山善明寺のことだと思うのですが、なぜ 祝田なのかは、ストーリー的には実際に仲介した人がここだった、というようなことでしょうか。

 

たとえば小野氏の京繋がりで婚姻が成立、というようなことが あった(根拠なし)と思うと面白いのですが。龍潭寺関係と宗派が違うのでなさそう

 

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後奈良天皇時代(1539~1567年)のお話です。

(略)

 庄司夫妻は今回の縁談が観音様の取り計らいであったことを知り、庄司ゆかりの祝田の山(引佐郡)に御堂を建て、そこに観音像を移しまつりました。

 

http://www.chuen.net/mukashi/mkashi_039.html

 

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静岡城と戦国浪漫浅羽庄司館

 

また『祝田観音縁起』には難波中納言の息女が浅羽庄司の家に嫁し、享禄年中(1528~32)祝田村に大御堂、小御堂など三宇の堂を建てたとある。