磯田道史さんの本を買うのははじめてだったのですが、興味深い内容が多く満足しました。

出身地近辺の地元歴史ネタを取り上げる本ブログとしてもっとも大きな話題は、なんといっても1680年の高潮と横須賀藩の対応でしょう。 (横須賀はもちろん遠州の横須賀で 、神奈川の横須賀ではありません。念のため)



磯田さんの本によれば、横須賀城をはじめ大きな被害がでて、浅羽町等低湿地を水田にしたところは壊滅状態だったとのことです。

そして、この時の藩主の本多利長の対応は、塩害にもかかわらず年貢の率を引き上げると同時に防災の土木工事への負担を強要、年貢の払えない民に対しては妻子を水牢に拘束するという酷いものだったとのことです。

水牢については、同じく利のつく人もやっている(真田信利・日本史悪ミシュランご参照)のでこのころの標準的な対応かとも思いますが、塩害のあった沿岸部やもともと低湿地だった浅羽町などの新田関係は地獄であったでしょう。

この頃の横須賀藩の領地は沿岸部のみならず内陸部、特に土方、堂山、嶺田とかに結構食い込んでいるはず(詳細要確認)なので、被害のなかった地域も結構あったはずで、その年貢をあげるのは確かにありだと思います。しかし、この頃の年貢は収量に拘わらず設定されるのが原則(努力した分が報われるように)であったので、一律に設定したのはまずかったのでしょう。

結局幕府が動いて改易となり、本多忠勝の子孫の名門であることもあって家は存続するのですが、家中もリストラで大変であったろうと思います。時々困ったリーダーが現れるのは時代を問わないのですが、、、

 

*この辺で幕府が動くのも、日本のお上意識を作った一端かもしれません。幕府としては反乱につながる芽を潰すとしか考えていないとは思いますが。
横須賀城