菊川市高橋の正林寺には 1532年の今川氏輝に 新野池成新田を寄進していること、河東にも檀家があることから、新野にも当然檀家があるものと思っていました。

 

訪問したところ、位牌が今は 住所別に並んでおり、新野の北のほうの地名があったので、高橋・新野はほぼつながっていると考えてよいように思います。

 

また、高天神城記で消息不明の「新野に帰農して庄屋になった松下平八」についても、どうも高橋の人のようです。

 

 

従って、新野家の所領の「2. 近隣まで領地であった」に高橋は含まれていたのでしょう。

 

正林寺は元禄頃に大火事にあって一切の資料が燃えてしまったとのことなので、 残念ながら、 昔のことはわかりませんが。

 

図示すると↓のような感じでしょうか(かなり不正確)

 

 

 

また、横地一族の領地は今川の直轄地にされたそうなので、そこも新野氏(の駿河の館の収入)に入ったことも考えられます(図では松井氏があるので小さいですが)

 

ついでの看板。