相良の大澤寺さんがそのBlogで藤田清五郎氏及び増田実氏がまとめた武田側に落ちた際の徳川方の人員について、記載されています。

 

地元特有の苗字も比較的有名な他地域の人の苗字も含まれていて興味深いのですが、きょう注目したのは「後に紀州に行く」曽根孫太夫長一、小笠原与左衛門清有、 松下助左衛門範久氏です。 

 

高天神城戦記によると、一度帰農したが再度招集があって、紀州の徳川頼宣についていって紀州に、ということなので、頼宣について調べてみると、親は家康で大阪冬の陣が初陣。生まれた歳は1602年。  

 

  ・・・・ええっと、12歳で初陣? 

 

井伊直政が18歳で駿河田中城攻めで初陣の際にも手厚いサポートでしたが、もうこのころは関ケ原の合戦からもかなり経過し、周りは実戦なれしていない若者ばかり。

 

ここで年取った家康がとった手段は、「戦場を離れて20余年たつ古強者を呼び戻してサポートにつける」だったわけです。 年取って親ばかになった(まあ年齢的には孫みたいですからね)家康の心情がうかがえます。