松下常慶 (安綱の方)は、徳川家康に仕える、忍者だったと解釈もされています。
(内容未確認ですが「戦国忍者列伝 80人の履歴書」にも乗っているようです)
今日は忍者説の根拠を集めてみました。

本人に由来するもの
1.  情報・諜報担当だから。他の傘下武将とは明らかに異なる役割でした
2. 山伏の恰好をして情報を集めていたから
   山伏といったら忍者の変装の定番。
3. 忍者を退治したから。
   駿府城のエピソードがあるそうです(でもこれはもう一人の方の可能性もあります)
4. 秋葉山のお札を配ったから
   秋葉山の僧侶でもないのにお札を配るのは、あやしい。
5. 槍の達人だったから (後述)
6. 少なくとも四男だったから
   忍者の家系なら総領に忍者をさせるのもありですが、そうでなければ危ない仕事は三男以降にさせるのが基本でしょう。
7. 養子を実子と偽って仕官させていたから
   子どもを拾ってきて育て上げるのも忍者の基本(消耗率高いですからね)
8. 7で結局お咎めがなかったから
   水野家の不良が見逃されていたのと同様の理由なのか、それとも「そもそもそういう人だ」と思われていたのか、「将軍は内々承知の上だった」のか。
9. 山伏のいる頭陀寺・二諦坊 双方に一族のつながりがあり、どちらかで山伏の修行をした可能性もあるから


頭陀寺松下氏に起因するもの
1. 長則が諸国放浪しており 忍者だった可能性があるから
2. 長則が槍の達人で、常慶はこれに師事していたと思われるから(単に親戚だから、ではありますが)。多分之綱は 出世したことに伴う領主っぽい仕事を引き継いでおり、常慶が実質的な諜報・武芸の後継者だった、とすると話としては面白そうです。
3. 頭陀寺では、手裏剣術の練習がされていたから。(秀吉も練習したそうです)
4. 頭陀寺松下家には、火薬を使う術が伝わっていたから
5. 之綱の娘は、柳生宗矩に嫁いだから。 裏柳生? 
6. 服部一族・青山一族ともその後血縁があるから。

ところで、松下常慶安綱は 花押を書く際には 「松下常慶」と記していたようなので、 安綱の方は 「松下常慶」と単に表記し、漬物エピソードの松下常慶は今後そう表記することにします。