NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で、重要人物なのに配役発表を飛ばされてしまった松下源太郎清景について、いくつか調べましたので忘れる前に書いてしまいます。


松下源太郎清景は、井伊直政を養子にした武将で、井伊家の与力として井伊家につかえて、関東移封の際に安中藩にいき、関ヶ原の合戦の直前に亡くなっています。

 

(追記:家系図によると慶長2年(1597年)に53歳で亡くなっており、天文13年(1544年)頃出生です)

 

井伊直政が井伊家になったため、松下家は中野家から養子(松下一定)が入り、その後、代々井伊直政の長子の方(西尾藩→掛川藩を経て、与板藩)に仕え、その子孫は現代まで続いているそうです(便宜上「与板藩の松下家」と呼びます)。
*一度彦根にいっているはずですが、井伊家が二つに分割した際に引き払われています。

松下常慶安綱はこの清景の弟です。 (松下右衛門清綱、松下三十郎元網も)

家系図上は、頭陀寺の松下家とかなりややこしい関係の親戚ですが、清景本人が頭陀寺にすんでいたかどうかは明らかではありません。(追記:これについてはあとの記事で補足しています)

また、家系図上は松下之綱が三河生まれと伝えられていることから、この家系も三河の碧海郡松下郷 出身とされているようです。

しかし、さまざまな記録を見るに浜松周辺地域の活動が頭陀寺の松下家にも散見されること、家系図に本当の三河出身と思われる松下信孝の名前が見えないことから、三河との繋がりは薄いのではないかと疑っています。

松下蔵人連昌(清景の父)が永禄年間に遠州鴨江寺に寄付しており、浜松近辺の人であったろうと推察されます。

元々井伊家の家臣で、との説もあるようですが、直接家康について働いているようなので可能性は低いように思います。しかし、ご子孫の家伝によると祝田に屋敷があったそうです。
 
戦功ははっきりしませんが、嶽南記には掛川城攻めに軍功があった旨記載されています。




*2016年11月19日 へんな点があったので修正しました。
*2017年1月7日、14日再修正しました。

*2017年9月16日 生年を補足しました。

 

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清景が井伊直政の母となぜ再婚したかの記事はこちら。