酒とホラの日々。 -81ページ目

陶酔境

一年三百六十日
日々酔いて泥の如し
残る五日は酒を見ること能ず
只宿酔いにて無為に過ぐ

何処に居るや昨夜の酒仙
こうべを挙げて嫁の機嫌を伺い
こうべをたれて空の盃を観る

外国留学生・訪問客歓迎します  『日本奥地紀行』・『ロングフェロー日本滞在記』

当社にはるばる米国より研修留学に来ていたトーマス小柳君(仮名)が先日半年間の期間を満了し無事帰国の途についたため、これを受けて昨日、彼去りし後の寂寥を癒すべく、何がしか彼の研修に関った者の追想会(?)が某串焼きやでしめやかにとり行われました。
出席者は、教育担当だったA君、同じ担当課のB君、総務担当のC君、そしてほとんど無関係ながらたまたま一緒に飲みに行っただけの私。


B君 「なんで追想会なんだ?そういえばトーマス小柳の送別会ってやったけ?」
C君 「やってない。費用は部の予算から出すって言ってたのに。」
私 「教育担当が全部飲んだんじゃないだろうな。」
A君 「なんと人聞きの悪いことを。まあ色々と忙しくてな。」
私 「・・これだ。トーマス小柳、日本に来たときにはあんなに明るくて元気だったのに帰るときはほとんどノイローゼ患者みたいだったそうじゃないか。それもなんだか教育担当のせいだって評判だぞ。」
A 「またまた、人聞きの悪い。」
B 「おまえ、外での飯はマクドナルドにしか連れて行かなかったとか、たまに居酒屋行っては皇室御用達の品とか言って納豆食わせたりしただろう。おかげでトーマス、物食うのにいちいち神経をぴりぴりさせていたらしいぞ。」
A 「マクドが多かったのは、彼の財布に気を使っただけだし、日本に来たら当然納豆くらい食ってみるもんだよ。それより、おまえなんかウソの日本語たくさん教えたろう。あいつ『鬱』(ウツ)はマンボで使う音楽用語だと習ったとか言ってたぞ。」
B 「友好的な冗談のつもりだったんだよ。ひどいのはCだよね。銀座行ったときにでただでジュース飲む方法を教えてやるとか言って、献血カーに連れ込んだだろう。いきなり注射器みせられてトーマス、暴れて逃げたそうじゃないか。」
C 「あれは、きっとトーマスが注射針見て昔やってたクスリの体験がフラッシュバックしたんだよ。なにせアメリカ人だからね。」 
私 「なんとまあ大変な連中だねえ。こんなことが日本の誤解を生むんじゃないのか?」
A 「いや、トーマスみたいな今までアメリカしか知らなくて、アメリカだけがが世界のスタンダード見たいに思っているやつには異文化をきちんとみせてやるのが外国人に対する親切って言うもんだよ。それにしてもあいつ、日本語もしゃべれないし日本もさっぱり知らないくせによく日本行きなんて希望したよな。」


・・・・いやはや、大変な親切もあったものです・・・。


現代においてはトーマス君程度の行動は別に珍しいことではありませんが、今日のところはトーマス君の遭遇した異文化の体験に思いをはせ、彼の先輩とも言うべき人々の足跡を著した本を紹介しておきましょうか。


すなわち同朋人がほとんど行ったことのない未知の文化・未知の世界である開国から間もない日本を旅した西洋人の手記ですが、ひとつはなんと言っても有名な『日本奥地紀行』 イザベラ・バード/平凡社東洋文庫。

日本奥地紀行
明治十一年、西洋の女性が何を思って日本の東京から北海道までそれも田舎の村々を旅して歩いたのか。何枚かのイラストとともに当時の日本の民族資料としても名高い本ですが、なんと言ってもやってこられた日本の人々の困惑や驚き・向けられる好奇の目、それを楽しんでいるかのようなイザベラの旺盛な探究心と対人行動力が単なる紀行文にとどまらず読むものを強くひきつけます。


こんな破格の行動はイザベラバードが先駆にして彼女だけかとずっと思っていましたら、なんとまだ上手がおりました。私もこれを去年書店で見つけて買って初めて知りました。

『ロングフェロー日本滞在記』 チャールズ・A・ロングフェロー/平凡社 

ロングフェロー日本滞在記

この人、アメリカの詩人ヘンリー・ロングフェローの長男にして放浪癖のある能天気なお金持ちのボンボンです。明治二年にはもう日本にやってきて日本中、それこそアイヌの村から九州までまで旅してまわり、さらには東京で家を手に入れたり、人気芸者をガールフレンドにしたりして多数の手記と写真を残しいます。

ロングフェローはよほど人懐っこい人だったのでしょう行く先々の人たちの歓待を受けた様子や、写真には自然な様子や女性達のはじけるような笑顔が並んでいます。この本はなんとなく重苦しくもあり謹厳なように思い描いていた当時の日本人のイメージを一新してくれました。


やっぱり、単なる既製品観光でない異文化に触れる旅には価値もありそうです。でもどこにでもうちの連中のようなのもいることを忘れてはなりませんが。

憲法九条を巡る憲法改正論議を憂える

私の知り合いにロックとプロレス以外は頭に入っていないと思われる佐藤君(仮名)という青年がいるのですが、先日何を思ったか憲法改正を考える会というのに出て、初めて憲法九条をはじめとする条文にまともに触れたそうです。


そこで、現行憲法がなんと格調高く崇高な文であることかと驚いたとのこと。
「これ、かっこいいじゃん。改正案も見たけど、あれなんかまるで駄文だよ、中身は良くわかんないけど、今のほうがカッコいいから別に変える必要ないじゃん。一緒にきてた中国人の大学生もすごいっていってたし。」


な、な、何だ。ふだんジャンプしか読まないやつの感想とはこんなものか。これは私も何か一言言わねば。「週間ポスト」だって、「女性セブン」だって(床屋で)読んでる私としては。と思って佐藤君がもらってきたパンフを読みました、ら、あれ、・・? 


なにやらこの集会では改憲派も基本的な精神は変わらないような。
即ち、九条にあるところの積極的に世界平和に貢献とか、国際社会における名誉ある地位を占めるとか言うところは変わらないといっているのですね。まあ当然でしょうね。


すると焦点は自衛隊の位置付けになるかというと、現行の枠組みの中でその貢献は良く認識されているとか言っていますね。確かに今の制度下で自衛隊の存在と働きについてはみんな知ってのとおりで、問題があるとしたらその運用方法でしょう。


でもその運用についても今の範囲と理念を逸脱することはないといっているのですね。
うーん、あんたも私も考えていることは同じ?


フーテンの寅さんと印刷所のタコ社長の会話を思い出しました。うろ覚えですがそれに習えばこんなところでしょうか。


タコ社長「おい寅、おまえ日本国憲法ってなんだかわかってんのか?」
寅さん「ニ、ニホンコクケンポウ? 当然じゃあないか。

    そんなモノわかんなくてどうすんだい。」
タコ「うそつけ、本当は知らねえんじゃないのか?」
寅「なに言ってやがるこのタコ、日本国憲法といったら、そりゃあ、日本国の、憲法だ。

  そんなもんわかんなくてどうする!」
タコ「じゃあおまえ、憲法がどんなもんか言ってみろ。」
寅「なにい、何でオレがおまえなんかに憲法が何だか言わなくちゃなんねえんだよ。」
タコ「言わなきゃ、知ってるかどうかわかんねえじゃないか。

   さては本当にわかんねえんだな。」
寅「こいつぁ本当に失礼なヤツだねえ。おまえこそ憲法がどういうものかわかってんのか?」
タコ「知ってるともさ。当然じゃないか。」
寅「本当か?本当に知ってんのか?」
タコ「俺が聞いてるんだから、知ってて当然じゃあないか。」
寅「それじゃ、こういうことだ。いいか?、

  オレは憲法がなんだか知ってる。おまえも知ってる。
  それじゃあここでわざわざ憲法がなんだか言うことはないじゃあないか。」
・・・


あんたもわかっている、私もわかっている。どっちも同じだというならわざわざ面倒な改正内容の検討なんてことは必要ないかもしれません。内容はどうでもいいならやっぱり見た目のいいのがいいということになるのでしょうかね。


だから私は佐藤君にはガンと言ってやりましたよ、ガーンとね。
「いいかおい、憲法九条はカッコいいから変えなくていいんだよ。」



・・・当面は憲法九条よりもわたしの健忘窮状をなんとかしたい。

男とダイエット 月曜の朝の明日なき暴走

いつものように月曜の朝がやってきて
またスーツの一週間の始まりだ
クローゼットから順送りにスーツを出してズボンをはく
・・・心なしかウエストのホックが遠い
すでにはるか夢の向うのこととなった土日の甘美な飽食生活は
やはり現実であったのだ
しかし今は回想に浸るときではない
黙って息を止めて腹に力を入れホックをかける
全ては一瞬の出来事であり決して現実と認識されることはない
こんなハプニングはどうせすぐ切実な日常の課題の中に
かき消えてしまうのだから
こうしていつも「なかったこと」から、男の一週間は始まる
もちろん来週のことなど考えない
俺たちは今日を駆け抜けるためだけに生まれてきたのだから


        ・・・でもベルトはちょっと緩めにしておくんだけどね(TT)。

ダイエットに勝利する 完璧な?成功事例集

健康寿命の長いのは「やや太め」程度の人であるという話を聞いたが本当でしょうか。その割には良く見れば大抵「痩せ過ぎ」のモデルが広告するダイエット健康食品や器具は売れ行き好調です。

「標準体重は美容体重」(五木寛之だっけ?)と言うのも正しい見識にも思えますね。


今の世の中、ダイエットが強迫観念のようになっている者も多いですし、およそダイエットと無縁に見えるような人の間にも「ダイエット」は便利な話題で、インチキかもしれないけどひょっとしたら健康志向っぽいかもしれない「遊び」としてしっかり入り込んでしまっています。


本日は私の知人達のダイエット成功例を集めてみました。


A君 「みんな私を太っているというが、私はダイエットを完全に克服した。なぜなら、子供のころはたびたび百貫デブとからかわれてつらい思いをしたものだったが、今の私はたったの三十貫しかないからだ。」


B嬢 「ダイエットしたいなら私のように本場アメリカに行くべきよ。あそこにいたら私なんかちっとも太ってやしない、まだまだ太っても大丈夫って安心するもの。」


C氏 「本気でダイエットしたいのなら、あらゆるダイエット食品をまめに購入し摂取しなくてはならない。その成果を見よ、この豊かな腹とスリムな財布。」


D君 「ダイエットの目的は体重を落とすことにあるのではなく、体重を落とそうとする過程にこそ意味がある。だから私はジム行ってエステ行ってサプリ飲む毎日だけが幸せだ。」


・・・ダイエットと幸福の関係も各人各様です。


HEY!ミスター・サマータイム利権成金

サマータイム施行もはやほぼ確実のようですね。カイシャに行ったらお役所○○庁からの当業界での実施計画の策定指令が出ておりました。見積はもう済んでますから、あとはどうやってやるかだけですか。


庶民のなけなしの時間を、経済活動のために供出せよというわけですね。取上げられた時間と産み落とされた苦しみは私でない誰かの利得になるんですよね。


この世の中では、人々が苦しむとそこに利権が生まれる。その利権に企業や省庁が群がってしゃぶり尽くす。世の中決して良くならないわけですなあ。


卵を産むメンドリを飼って日々の栄養の足しにしようとしたら、このメンドリは人食い鳥だったんですよね。

夜歩く

このブログ、散歩のカテゴリーを作っておきながら、散歩のこともさっぱり書いておりませんでした。では今日は散歩というかまあそんなことでも・・・。


帰路、会社から駅までの道、私はたいていちょっとした木立の横を通るのですが、4月から5月は木々から新芽時の濃密なにおいが夜風に乗って漂っておりまして、これを呼吸するだけで様々なイメージが喚起されるような気がします。嗅覚というのは視覚や聴覚に比べかなり原始的な感覚だそうですから春の宵の空気に人の心が浮き立つのは、太古の記憶に心がうずきだすためかもしれません。


事件はこの道でこんな時分に会社の同僚で不機嫌なおしゃべり魔として名高いA女史と一緒になったときに起こりました。


私が夜空を背景にした木立のシルエットなどを眺めながら夜の散歩気分でぶらぶら歩いておりますと、後からやって来たA女史が私に並びかけて勝手にしゃべりだしたのです。
「あらあ、春ねえ、春の空気ねえ。こんな夜の林を見るとねえ、ベートーベンも夜の森を夜の散歩をしながら曲想をあたためたのじゃないかと思うのよね。だって、そんな曲多いじゃない?」
「はあ」


さらになんと昔々、管弦楽サークルにいたとかいう女史はいきなり歌い出したのでした。
「でだ、でだだだだーだららんぎゃああああーん(以下略)」
「・・・」 (はて、なんという奇怪な。原始人の叫び?縄文の祈りかな?ともかく今度は会社からipodを装着してくることにしよう。)


「ねえちょっと、今の曲なんだかわかる?」
「は?、うーん。」私は誠意を持って精一杯正解に近いと思われる回答をおそるおそる返しました。
「・・・燃えよ、ドラゴン、ですか?」
「やっだーっ、ベートーベンって言ったじゃない、ほほほ」


絶句する私にお構いなしに、また怪音を発する女史。そして曰く、
「ピアノ協奏曲第1番よう。」
「・・・・・・」 (原人バージョンか?)
「この曲ちょっとベートーベンっぽくないからねえ、ほほほ」
「・・・すると、今のは第2楽章でありましょうかっ?!」
「あらあ!、なんだわかってるんじゃなーい!、これきれいな曲よねえ、ほほほほ」
ご存じの方も多いでしょうが、ベートーベンのピアコン第一番の第2楽章は曲中でひときわ優美な楽章です。私は一番イメージの異なる楽章を述べたのでありますが、この時とっさに思い出した
<クイズの回答なんていうのは一番違いそうな選択肢が正解なんだよ。意外だからクイズなんだよ。>
という格言が役に立ったことを知りました。


人は生命の始まりとして細胞分裂が始まり胎児からの成長過程において、太古の生命の姿をなぞるといいますが、生まれ出でた後の人生においても太古の精神を再び息吹かせる局面に遭遇することがあるのでありましょう。春の宵の匂いにはそんな力があるような気がします。


そんなことはどうでもいいのですが、この一件で、社内で孤立気味だった女史に「自分の芸術と世間話を聞いてくれる人」と認識されてしまった私は、廊下の角や食堂の出口で何気なく待ち伏せされたりして、少々辟易する目にあったのでありました。


いずれにせよ、その後社内組織改正で女史はいなくなったため、ひとつの難事は終息したのでありますがただでさえ忙しかった私の被った精神的負担たるや半端なものではありません。


夜ふらついているのは、盗人か妖怪だけだとはよく言ったものです。これに限らず、私は夜中に散歩してろくな目にあったことはありません(迷子・職務質問etc.)。やはり散歩は明るいうちに限りますね。

酒のみの心得と、酔猿の惑星

なぜ酒を飲むのかといわれると、それはたぶんアルコールにしか溶け込まない味があるから、でしょうか。でもそれだけの理由では酒を全部説明できていませんね。

このブログではタイトルに「酒」とうたいながら、まともな酒の話はさっぱりしていないようなので、ここらでひとつ。もっともブログで味の評論をしても仕方がないので、ここでは、背表紙を眺めるだけで酒飲みに御利益のある本をあげておきましょう。

酒造り之心得

『酒造之心得』/日本醸造協会近畿支部編(復刻版)


これは大正二年に酒造協会が蓄積された酒造の技術全般を後世に伝える目的で出版したものが、平成に入って復刊されたものです。当初千部の限定出版だったようですがよく売れたらしく再版され、いまでもまだ書店に並んでいたりします。「心得」と言うだけあって、材料の選定から酒造所の設計、仕込みや保管の技術、衛生面の注意、酒造会社の経営のあり方まで、内容は酒造に関るあらゆる範囲に及んでおり全てが現代も通用するものではないでしょうが、酒造の知恵のエッセンスが詰まっています。


本書では品質の保持第一を唱える一方で、「酒造会社は経営安定化のため資本を統合し、大規模経営を目指すべきだ」と言うような記載もあり、その後ナショナルメーカーと言われる大会社が現れ、経営効率優先で品質を低下させて日本酒の衰退を招いた歴史と重ねると、なんとも皮肉ですね。


・・・それにしても、口の悪い友人が、この本を見て、
「なんだ、四千円(この本の値段)もあったら酒飲んだほうがいいに決まってるじゃないか。」
と言っておりました。それも確かに一理ありますが、
「人は単にモノを飲んだり食ったりするだけではなくて、その背景にある歴史や文化も一緒にいただくのである。これが猿酒と人の酒の違いである。」
と述べたところ、一旦は黙ったのですが、
一時間もしてさんざん飲んだ後に、また思い出してからみはじめました。
「おいなんだ?オレは猿か?オレを猿だというのか?」
「おまえなんかデブでオタクの大男だから大猩猩だよ、岩見重太郎にでも退治されてしまえ。」
「なにい?そんな年寄りネタなんで知ってる?あ、オレもしってる」
「それが、文化というものだよ」
「コーネリアス!」
「ジーラ!」


・・・こんな酒盛りじゃ結局、猿酒と変わらんかったかもなあ。


   我も彼も酒飲む人は猿にかも似る

   (大伴旅人先生ごめんなさい、反省!)


Cheer Up, Sleepy Jean

今日は胃カメラの検査が昼過ぎにはおわり、休暇を取っていたので普段めったにできない平日の町中散歩に出掛けました。


仕事のある日に仕事せずに好き勝手なところに出掛けるのは気分がいいものです。

みんな同じ(に見える)スーツ着たサラリーマンがせかせか動き回っているのを見ると、いつもの自分のことは棚に上げて、優越感すら感じます。さらに、普段は気にもしませんが、サラリーマンスーツも長引く不況の影響があるのか以前にもまして色も形も画一化が進んでいるようにも見えました。


スーツ同様中身もきっと同じで「会社の労働」というひとつの価値観の中で優秀とかもう少しとか一本の線上に並んでいるだけの差異しかないのではと思うと、寒々しい気分でもあります。また個々のサラリーマンは頑張っている顔・疲れた顔様々ですが、全般になんだか疲れた印象を受ける共通点もあります。いつもは自分もそうなのに、ちょっとぶらぶらしたくらいでいい気なものですが。


以前あまりの仕事の厳しさに、万一のことがあったら労災がおりるようにと「過労死日記」をつけながら働いていた事があります。その後表面的には仕事は楽になったはずでも、ストレスの原因は変わっても総量が減ったというわけではありません。同じような外見の同じように疲れたサラリーマンの群れを見て、個々の仕事・労働の中身以前に「企業型労働」に疲れているのでは?と考えてしまいました。


散歩の最期は神保町の本屋巡りをして、某本屋に入ったら、店番のお姉さんが目を開けたまま寝ていました。

「あのう、すみません」

「・・・・」

「あのう、もし」

「・・・」

「あの、これ」

「・・・うわっ!・・すみません、ぼーっとしてました!!」

(ぼーっとしてたんじゃなくて、寝てたんだろ。オレが万引きじゃなくて良かったじゃないか。)

まあ私も会社で、自分で会議を主催しておいて居眠りしたりするのですが、これはきっとストレス回避行動なんですよ。たまには居眠りくらいいいじゃないですか。


(と、自分の居眠りを正統化したところで本日はおやすみなさい)

胃カメラの味は、極楽の味?

実は明日、胃カメラを飲むことになってしまいました。もちろん最新のカプセル型なんかじゃなくて、黒いゴムホースを飲むのです。ホースの直径は9ミリほどだそうですが、飲む者にとっては3センチくらいに感じます。

検査の待合も嫌ですね。なんかコテコテしたオヤジばかりが目立つ集団の中で順番を待っていると、受診者の悲鳴が漏れ聞こえてきます。いい大人のマヌケな喘ぎ声にはじめは笑いをかみ殺していているのですが、次々と悲鳴が続いて順番が近づいて来るとわが身の危機を認識し緊張が高まってきます。宇宙船の発射を待つ飛行士のような気分。


そして胃カメラ検査の受診には歴然と上手な人と下手な人が存在して、私は人類最下位グループに入るのではないかと思うほどの「下手な人」グループにはいります。涙・ハナミズ・よだれ・嘔吐(胃が空だから何も出ないが)・絶叫・・・。なんでもない人にはこの苦しみはわかりますまいが。

前回は見かねた医師が途中で鎮静剤の注射を打ってなんとかなったのですが、アレはいい。注射針が肩にはいると瞬時に目の前が明るくなって、それまでの苦しみは放散し一挙に極楽気分に突入です。いや~、あれは酒よりいいかもなあ。(ほとんどヤケクソ)

これから胃カメラを受信される方は前もって「鎮静剤セット」がお得でしょう。


私は体もチェックとメンテナンスが肝要と考え、明日は覚悟して検査に行ってくるとしましょう。