山に行きます
七つ、八つ、数知れず。
七つはこの夏食べたスイカの玉の数。スイカ好きなのだ。
八つはうちの庭に現れた蝉の殻。もっとあるかもしれないが。
数知れないのは言うまいと思いつつも、「暑い」と言った回数のこと。
毎年夏になると決まって言い出すのが、
夏の間はどこか高原に住んで、暑さの引けたお彼岸過ぎに降りてくる、
という実現の当てのない夏期移住計画。
冗談ではあるけれど、年を取るごとに冗談の中に真剣みというか
痛切さが増加してきたようなのは、たぶん気のせいではない。
それでも、耐え難いむし暑さも、夏が今頃になるとさすがに慣れが入るのか、
次第に苦の度合いが薄らいでくるようだ。
あと一月もすればきっと涼しい過ごしやすい日々がやってくる、と
無理矢理にでも思いたいところだが、夏の慣れや秋への期待と言うより、
夏の間の高原移住のできないあきらめが入り交じるようだ。
夏の間、高原に行って何をするのかと問われたが、
さわやかな高原にこっちの仕事はなじまないから、
プロのナチュラリストなんてのはどうだろうと言ったら、怪訝な顔をされた。
プロのナチュラリストというのは本当に存在する職業のようだが、
そもそもナチュラリストというのは職業と言うより、
自然に向かう人の態度によるものだから、
そこにプロがつくのは誰しも違和感があるのは当然だろう。
もし自然の親しみ方を紹介・案内して人から金をもらうのだったら
それはただのガイドである。
プロのナチュラリストは自然から報酬をもらってこそプロのナチュラリストだろう。
とすると、自然の中で暮らし、動物や虫の世話でもやって、
猿や虫からドングリや蜜でももらって暮らすというのが真のプロ・ナチュラリスト
なのではないだろうか。
それはなんだか宮沢賢治だのジブリだのの童話の世界のようで、
それはそれでとても憧れる、、、わけはないのだけれど。
やっぱり物欲と文明の利便にまみれすぎた私にはナチュラリストは無理だ。
次にもし深く自然に入り込んで親しむことがあるとしたら、
たぶん姥捨て山に行くときくらいだろうかな。
