雨降りお月さんの紡ぐ物語
かつて月の運行と降雨との関係についての研究というものがあって、これはアメリカにおける50年間にわたる期間と一万回あまりの降雨との膨大な統計に基づくものである。その結果、降雨の量は新月と満月に遅れること3、4日後に極大となり、雨と月例には明らかに有意な相関が確認されたとのことだ。
にわかには信じたいような結果だが、昔から船乗りや漁師・農家のあいだでは月齢と天気の関係についての言い伝えは多数あったようだから、長年の経験的な伝承が統計的にも無視できない裏付けを得たことになる。
もっとも大気に対する月の潮汐力の影響は100分の1へクトパスカル以下で、他の要因のノイズとくらべても無視できるような軽微なものであるから、直接的に月が大気の流れを変え雲を起こして雨を降らせる力があるとは考えにくい。
そこで先の統計よりはるか昔に、やはり雨と月の相関に関心を寄せた哲学者のカントなどは、大気のさらに上空に熱や光のような重さのないエネルギー体があって、このエネルギー体に及んだ月の影響が間接的に大気に変化をもたらすのだと考えていた。基礎科学も未熟な時代によくこんなことを考えついたものだ。
一方最近の研究では大気中の氷晶核濃度の測定から、どうやら宇宙を吹き流される流星塵が月に跳ね返って地球に降り注ぎ、これが氷晶核となって降雨をもたらすのではないかという仮説も考えられてきているようだ。この流星塵が降り注ぐのは月が太陽と地球と正対する満月と新月の時に最大となり、この流星塵のシャワーに遅れること3・4日で地上に雨が降るのだ、と。
(結果的にカントの間接影響という仮説にも通じるものがある。)
広大な宇宙を漂よう流星塵が月によって地球に降り注ぎ、微細な星くずは雨滴の核となって水分を凝集して地上に雨をもたらす。雨は恵みと時に災難をもたらし、また雨が人のそれぞれの日常に人生の転機ときっかけをもたらすこともある。
だからこの転機の起源は月の運行と流星塵なのだとしたら、私たちの日常とは大宇宙を舞台にしたスペースロマンの末端にほかならないということだ。
いつも目先の利得や世事の義務に汲々として忙しい私たちだが、時には夜空の月を眺め、宇宙の運行現象の一部として私たちの人生にを思い巡らせ、悠大なスペースオペラの一幕としての自分の物語を生きてみよう。
