あの憧れの、雪かき体験ツアーに行こう
この週末あちこちで雪のニュースが伝えられているが、首都圏では初雪もまだである。ただ、時々東京にも大雪が降ったらいいのにと思うことがある。ご都合主義的な人口的社会システムの極みともいえる首都圏のインフラは降雪や自然災害などほとんど考慮していないので、これに伴って、意識無意識のうちに人間は自然も何でも人間の思うとおりにコントロールできるという人間中心思考の過剰を助長しているような気がする。だからたまに自然の実態に突き当って、自然への畏れや慎みを思い出すことは必要なことなのかもしれない。
そこでふと思い出したのだが、自然への無知ということでこんな話があった。
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豪雪地帯にある温泉境での話である。
もう20年かあるいはもっと前のことというから、世の中がバブルの上り坂で好況に沸きかえって浮かれていた頃のこと。観光村おこしだのも盛んでウィンターレジャーの花形としてスキーもまた底の浅いバブリーなブームに沸きかえっていた。
そんな時代だったから、冬の観光地はどこでも人手不足が悩みの種だったのだが、この温泉郷は豪雪地帯であるため、雪かき・雪下ろしに人手を投入したいところこれがままならなかった。町の若い衆が裏方的な雪かきよりも、今をブームでときめくトレンディーなスキー場の運営スタッフばかりやりたがるのは、まああの時代では仕方ないことだったろう。
そこで温泉郷の旅館経営者からなる観光協会だか何だかが、スキーをネタに外からアルバイトスタッフを雇い入れればよいという案を考えついた。
そこでさっそく、
『あの憧れのスキー場で雪下ろしのアルバイトをしませんか。空いた時間は自由にスキーが楽しめます。』
というよいうな広告を首都圏に打ったのだった。
当時は雪の上を歩いたこともない人間までも突然スノーウェアを買って上級者ゲレンデを滑落し、デートは私をスキーに連れてってと言うのが当然のようなスキーブームの時代であったが、実際スキーは夏のスポーツレジャー以上にそれなりにやろうとしたら金も時間も体力もかかる。だからアルバイトがてら只でスキーができるかのように勘違いしたお調子者がすぐに30人以上集まった。
ただ、当の温泉郷はアルバイト従業員の雪体験歴をチェックすべきだったかもしれない。当の温泉郷は普通に3メートルは雪が積もる。一晩で降雪1メートルなんてことも普通だ。しかも山間の傾斜地で道も狭く機械力が投入できる場所は限られている。そんなところで、10センチの積雪に大混乱を起こすような東京から、ふらりとやってきたヘッポコ部隊が即戦力になるはずがなかったのである。
アルバイトのにわか雪かき隊は、膨大な雪の壁を見て圧倒されたが、早いところ一日のノルマを片付けてスキーに行こうとしか考えていなかったから、しゃにむに雪の塊に取り組んだ。彼らのために言っておくと、彼らは彼らなりにまじめに懸命に雪かきに取り組んだといって良い。 ある意味、そのまじめさと早くスキーに行きたいという下心があだとなったかもしれない。
雪というものは積もれば積もるほど硬く締まって重くなる。1メートル積もっていれば1平方メートルあたり、重さは70キロとも80キロとも言われるが、これが3メートルでしかも降ってから時間が経過していれば圧力が増してますます硬さと重さが増してくる。下のほうはスコップが跳ね返されるし、掻いた雪は所定の雪捨て場まで運ばねばならない。これは相当な重労働だから一定以上の分量を始末しようとしたら、ペース配分と要領を考えることが絶対必要だ。
ところが彼らは無知と経験のなさから早く遊びに行きたい一心でスタートからやみくもにフル回転してしまったのである。
フル回転しても一向に減ることのない雪の塊に、彼らは絶望的になったが、結局予定分量の雪を片付ける前に時間は過ぎ、同時に体力も尽き果ててその日は暮れたのだった。
次の日、雪かきのバイト隊は一人もいなかった。
スキーなどして遊ぶ余裕などありはしない、雪のあまりの凄まじさと体力の消耗とその見返りの割の合わなさに一晩のうちに皆逃げてしまったのである。荷物をまとめて、やっておれん、と捨てぜりふを残して去ったものもあれば黙っていなくなった者もいるし、ハードワークに足腰が立たなくなって這って逃げた者もいた。
こうして、雪かきのアルバイト調達計画は失敗に終わり、当の観光協会では、翌年からは『憧れの雪下ろし体験ツアー』という旅行パックを打って、細々と雪かき・雪下ろしや雪国の生活体験と啓蒙のようなことをやっているということである。
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ここで改めて言うまでもないことだが、未経験の仕事に取り組むというのは、こんな単純なアルバイトごときのことであっても労使双方にとって未知のリスクを背負い込むことでもある。
また自然に対する経験の有無からくるそれぞれの認識の違いがこのようなドタバタ劇を招いたのではあるが、何より、自然への対処というものは頭の知識だけでなく、体でわかるしかないものなのだ。