悪の巣窟モルドールから帰る
大きさと機能性を競うコンベンション施設というものはどこも周囲と分断された非日常的な空間で、ビジネス上の収容ニーズを満たせば文句はないとはいえ、私などは何度いっても好きにはなれない場所である。
たびたびロード・オブ・ザ・リングに登場する悪の巣窟モルドールを思い出して長居したくない場所の一つだ。
屋内施設としては並外れた大きさと、未来的な印象や前衛性を誇示するのかような冷たいデザインに感覚の一部を麻痺させられるような居心地の悪さを感じるのだ。
この夏も、何度か仕事で都内とその周辺のコンベンション施設にでかけたのだが、
最終日は雲ひとつない空から目もくらむような強い日差しが照りつける午後だった。
その日出かけた巨大なガラス張りの展示棟は、鉄骨に貼り付けられたハーフミラー状のガラスが透過する光に緑と青と灰色の混じったような金属的な色をつけるために、中にいる人も物もみな無機的な印象を帯びていた。
灰色のビジネスマン、緑青(ろくしょう)色の展示ブース、行きかうミニのワンピースのコンパニオンもまるでアンドロイドのようだった。
まさに非現実的な空間ではあるが、金融にせよITにせよ現代の経済的活動などというものはほとんどは実体性に乏しい「参加者全員納得ずくの虚構」として成り立っているとすれば、こんな空間はビジネスにはぴったりなのだともいえるのかもしれない。
私のこの日の仕事は現場担当に簡単な連絡と指示を与えると、後は遠巻きに進行状況を見守るだけだったが、居心地の悪さはずっと変わらなかった。
やがてイベントは終了し、後片付けの始まる前に引き上げようとすると、コンパニオンの一人が近づいてきて、「ね、今日はどこ行く?」などとこちらの都合も聞かずに声をかけてきた。
彼女は元は会社の同僚というか後輩だったのだが、途中やめてコンパニオンになって大分たつのだが、ただのマネキンみたいな飾り物のコンパニオンとは違い、何でも記憶力も良く飲み込みも早いので、案内や説明なんでもこなす実力派だ。私とはまだ対等な友達である。
この日はずっと不機嫌そうな私を遠くから見止めて彼女なりに気を使っているのだろうと容易に想像がついたが、ここは精神疲労もあって勤めの延長の飲み会は放り出し、情けなくも彼女の好意に甘えて一緒に夕飯に行くこととした。
社会という虚構、その社会のビジネスの虚実、フィクションとしてのビジネスを包む虚飾の塔。
夕暮れの中、どんどん背後に遠ざかるモルドールを車のリアウィンドー越しに眺め、勤めの公的な自分から開放されて本来の個人的な自分に戻りつつあることを知り、私は次第に現実感を取り戻していった。
「ね、今夜はどこに行く?」とたずねてきた彼女に私は、
「今がリアルかどうか知りたい」とだけ答えたのだった。