虚空よく物を容る
胃は食べ物を消化するため、目や耳は外部情報を入力するため、
では心は何のためにあるのか?、というたわいもない話をした。
心などなくても入ってきた情報を処理して次の行動をアウトプットする
判断機構さえあれば、あれこれ悩んだり迷ったりすることはないのに、
わざわざ心があるというのは精神の盲腸のようなものなのだろうか。
人は時に悩みにとらわれては心の役割を見失っているが、本来心とは
幸福を実感するための機構である。
幸福感を受け止め満たす器のようなものなのだ。
それを人間は悩みや焦りのために使ってしまうから、
心の使い方がわからなくなるのではないか。
ある店で酒のつれづれにそんな話をしていたのだが、
「それでもなんだかよくわからないなー、どうしたって悩みが
出て行くことはないよねー」
という彼女のグラスにとりあえずボトルのお茶を注いだところ、
「あー、次はおこっちの酒を飲もうと思っていたのに、」と
咎められた。
そのとおり、水でいっぱいのコップには酒を注ぐことはできない。
心だって悩みや煩いでいっぱいになっていたら、ほかのことには使えない。
私たちの毎日では後悔や不安にとらわれては、生きることの辛さに
ため息をつくこともまた多いのだけれど、
一度、焦燥や憂鬱にとらわれた心を空っぽにしてみれば、
やがて自分の中に「新しい今」が満ちてくる。
意思をもって新しい今は幸福なものにしようとするのは自分で決めることだ。