熱帯夜に遠い冬の記憶を語る
連日蒸し暑い日が続いている。高温多湿の身体への負担は耐え難いものがあるが、ここはせめても記事くらい涼しいことを書いて、涼やかに暮らす一助としたいと思う。
(その1 氷湖の記憶)
幾日も冷たい晴天が続き、硬質な大気の底ではいつの間にか雪と氷が同化して
沼の氷が鏡のように磨き上げられていたある冬のこと。凍った沼を滑るように歩いて横切る途中、氷の薄い部分を踏み割って水に落ちた。沈んでいく体、無音の世界。氷を透過する青い光が美しい。水の中から見る氷の厚さは一様でなく、薄いところから青い日が水の中にもぐりこんで濃藍の世界にパステル光の柱を立てるようだ。
(その2 雪中の柱)
ある雪深い晩、タクシーで帰ればいいものを、私は酔いで高ぶった気分に任せておよそ四キロの夜道を歩いて帰った。 体を締め付けるような寒さは内臓の収斂を引き起こしたのだろうか、それとも単に大食い大酒が過ぎたのであろうか。
道の途中でどうしようもなく一時の猶予もない自然の叫びに襲われて、それ以上歩みを進めることが困難な状況に陥ってしまった。一歩ごとに忍耐ポイントは失われ、世界の破滅まで許される歩数はおよそ50歩と判断されたとき、私は一切の迷いを捨て公共施設の敷地に飛び込んで、なんとか事なき(?)を得たのだった。後方の雪中には巨大な塩(?)の柱があった事は確かだが、このようなときには決して振り返ってはならないのだ。
ほら、確か有名な話にもあるではないか。ソドムの町が滅ぶとき、ただ一人ロトは妻を連れて町を脱出することを神に許されたが、見てはならないという戒めに逆らい町を振り返り見しロトの妻は糞の柱となりぬ。(創世記第19章)
・・・このように冬の寒さは私たちに思いもかけない事態をもたらすことがある。私も今想像するだけでも身の毛がよだつ。それを思えば人は少しくらい暑いというだけで不平を言ってはいけないのかもしれない。
そんな眺めに一瞬我を忘れて見とれるが、すぐに水をけって上を目指し、幸いにも氷の裂け目から這い上がることができたが、死と隣り合わせの状況にいたことに思いが至ったのはだいぶ経ってからのことだ。
今も音のない光と水だけの氷下の世界の底に横たわる自分の光景が脳裏に浮かぶことがある。きっとそれは氷下の世界に魅入られて置いてきた自分の一部としての記憶なのかもしれない。