風に飛ばされた栞
このところ、梅雨後半に特有の気圧配置のせいか、
南の海側から風が吹く日が多い。
昨日も街路樹や建物のシルエットが暮れ色の中で刻々と貌を変えていく間を歩いていると、海からの風が流れ込んで、街中は淡い磯のような香りに包まれた。
私は重い湿り気を帯びた空気のなかを歩くのに胸苦しさを覚えたが、
この息苦しさの原因は空気にあるというよりも、
実は私のよみがえった過去の記憶にあった。
先日、読書を中断したまま何年もたって、また読み直そうとした本に何年も前のまま栞(しおり)がはさんであったのを見つけたのだけれど、どうしたわけか予期せず何年も前に栞をはさんだだときの事件や心のわだかまりまでよみがえって、すっかり私は困惑してしまったのだった。
栞が読書の再開地点を示すのみならず、止まっていた記憶まで再開するとは思ってもみなかった。その時やろうとした後悔、やらなかった後悔が私をさいなみ本を読み直すどころではなくなってしまっていたのだ。
それでも混乱した記憶を振り払うように街中を歩き回っていると好き勝手放題に吹き抜ける風が、私の記憶の亡霊を少し吹き払ってくれたような気がした。
栞のページから記憶と読書を再開するのも
栞をとり払ってまた新しくやり直すのも
また気になる部分に栞をはさんで先に進むのも、
今の私には様々な選択肢があるはずだ。
困難な事態への柔軟な対応も時間が醸成してくれるものなのだ。
実際人生には時間をかけないとわからないこともまた多い。
本にだけではなく、気になる人生の一ページにはさんでは
先に進んでみることに使う栞というのもまた、どうやらあるらしい。
軽い混乱はおさまって、出かけるときよりもほっとした気分で家に帰ったのだけれど、外出の間に窓から吹き込んだ南風が開いた本のページを散らして、
はさんであった栞は、もう本の外に飛ばされてしまっていたのだった。