イタリア人に生まれれば良かった!?...ユーモアと世界観
ブログとはいえ、なるべくベタな話は書かないようにしてはいるのだけれど、今日はベタな本の紹介をさせていただくのをお許しいただきたい。
好きで読む本であり趣味の読書とはいえ、いつか読書も型にはまった義務の色を帯びて、自らに苦労と努力を勉め強いるものになってしまう事がある。いやでも努力することが必要な場面というものはあるものだが、機械的な義務と努力は自分を解放することにはならない。
私たちは生きるために日々避けがたい苦役を伴う日常を送っているが、自らの蒙を晴らし自由の扉を開けるべき読書までが苦役の色を帯びたらそれは独房1号室から2号室に移るだけの行為になってしまう。
読書も知的欲求を満たすことも大切だけれど、楽しいこと、理性だけでなく心を伸びやかに解放してくれるものが必要だ。私はそれはひとつはユーモアであると確信する。
さて、フランス人作家シャルル・エクスブライヤによるこの写真の本は、イタリア人のロメオ警部のユーモアミステリーである。
チューインガムとスパゲッティ、およびキャンティ(イタリアの地場もののワイン)とコカコーラもそれぞれ、アメリカとイタリアの象徴であり、世界に冠たる現代アメリカ的文化と古いヨーロッパ文化の対決と読めないこともない。
ロメオとジュリエットの舞台となったイタリアはヴェローナの街の警部である主人公のロメオ・タルキーニは、ずんぐりむっくり体型にカイゼルひげ、愛情豊かな大家族に囲まれて暮らす、過剰な感情表現と想像力の持ち主である。
厳格な合理主義と権力を信奉して疑わないアメリカの冷酷な社会に対する、正義感と愛情表現たっぷりのデフォルメされたイタリア人ロメオ・タルキーニの衝突から生まれるドタバタは文句なしに面白い。
ロメオ警部は金で正義もねじ曲げようとするボストンの名士に向かってこんなことを言う。
「わたしたちイタリア人はあなたがたアメリカ人と違って貧しい。わたしたちは貧乏になれている。だから金を持たないことはわたしたちにはなんでもない。わたしたちは他のものに意味を求める。愛に、友情に、自分が立派な男だと、あるいは立派な女だと言えることに・・・・あなたの目には子供じみて見えるかもしれないが、そのような喜びが私たちには、あなたが金で手に入れている贅沢や権利にも匹敵するのだ・・・・考えてもみなさい、私たちはあなたよりもゆたかだといえる・・・・。」
いかなる場面でもロメオ警部は一貫して愛の意味を説き、その結果厳格な一家にも人間味を取り戻し、卑劣な行為をたしなめ、虐げられた者の名誉を回復して、事件を解決していくこの過程は痛快だ。
そればかりか、日本人の私までアメリカ的単純な価値簡に引きずられて経済効率至上主義で人間味をなくしていく社会を恥じたくなってくる。
なんで私もまたイタリアに生まれなかったのか!?
ユーモアとは世界観の現われだと云ったのは確かミヒャエ・エンデだったろうか。
たしかエンデもまた、一時期イタリアに居を構えて仕事をしていた。
ともすると理想主義者は平凡な事実を軽んじることがあり、また一方で合理的な実務家は現象と実利しか見ないものだけれど、立派な道徳家で企業家がかげでインキンタムシと家庭の不倫騒動に悩むこともあるだろう。理想主義者か現実家でそのとらえかたは変わるだろうが、ユーモアはこの両方を受け入れる。
人間は理性のあり方によって高尚な存在にもなると同時に極めて情けない存在でもあるが、この全部を包含して明るく受け入れることこそユーモアである。
ユーモアは世界観を広げて窮屈な生きづらい世界にとらわれた心をほんの少しゆるめて楽にしてくれる。
(残念ながら両書とも現在は廃刊となっているので、図書館か古書店で入手していただきたい)
