表現者たちの秋
芸術について、先ごろ亡くなったアメリカの作家カート・ヴォネガットが
「芸術に関わることは魂を豊かにしてくれる」
と言うようなことを言っていたが、とてもいい話だ。
プロの芸術作品だけのことを言っているのではない。
芸術に関わるということは誰もが行う表現しようとすること。
自転車をこぎながら鼻歌を歌う、友達に散文詩をメールする、
広告紙の裏に絵を描く、寝室で踊る・・・。
芸術に関わることは日常の苦をほんの少し昇華してくれて、
世界に別の見方を与えてくれる。
それはとりもなおさず、心を豊かにすることであり、
心が豊かになることは人生が奥深く豊かなものになることだ。
大切なのは下手でもいいからただできるだけいいものにしようと努めること。
後ろ向きの野暮な皮肉で台無しにしないようにすること。
ところが、宗教を否定した20世紀を代表する覚者ジッドゥ・クリシュナムルティはことさら芸術など不要だというようなことを述べていた。
だがこれは、私たちが欲求や社会義務・宗教的しきたりに追い立てられ、目の前・すぐ隣にあるがままの美しさに気づかないことを指摘したものである。
芸術は一面で、ある種の人間の経済的欲求や自己顕示欲を満たすための手段であるかもしれないが、それは本当に一部の人間だけのことだ。投機の対象になった芸術や、群集的興奮だの流行に煽られた芸術は、バスルームの鼻歌やノートの切れ端の詩、小鳥のさえずりがもたらしてくれるような私たちにとっての芸術の効用をすでに失っている。
美術館に収蔵されていたり売り物になった芸術品だけが、高尚なのではない。 芸術は私たちのそばにあって、息苦しい世界の外にはまた別の世界が広がっていることを教えてくれる覗き穴を壁にあけるようなものだ。
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下手くそな詩を書いて、好きな歌をがなって、早起きして朝日を眺めて、みっともないダンスを踊って、灰色の壁の穴に気がついたとき、穴の向こうから誰かが手を伸ばしているかもしれない。
それは大切な誰かさんかもしれない。