ひげと休暇と、夏の終わり
休暇の終わりの最後の晩はいつも、私はバスルームでひげをそる。
つまり休暇の間ひげは伸ばしっぱなしだということだが、
なにも毎日ひげをそるのが面倒だというわけではないし、
ひげを伸ばして威厳をまといたいというような稚気に満ちた
たわいもない気分があるわけでもない。
ただ私のひげは、普段は堅い(と思われている)仕事と、そんな社会的自分から
開放された個人的休日とを峻別するささやかな意思表示であるのだろう。
もっとも、連続した休暇とはいえたいていは数日のことで、
いくらも伸びるわけではないのだけれど。
それでも普段の土日の最後には短く硬くてバリバリというひげだが、
幾日も続くような休暇の最後のひげは、ふさふさとまではいかないまでも
ちょっとだけ長く柔らか味が出てきて、
どことなく風格を帯びてきているような気もする。
休日の最後はこんなひげを剃って洗い流すだけのことだが、
それでも生活の流れのささやかな区切ではあるだろうし、
あるいは人生の一こまにおける「終わりと始まり」を感じとる
手段であるのかもしれない。
*
実は今年の春先からある試験を受けるための準備をしていた。
学生ではないから勉強だけやっていればいいわけではないので、
生活と仕事におわれる中で準備の方法と計画を練り、
何週間も続く準備期間には徐々に試験のための体制を固めていくのだが、
途中インフルエンザで寝込んだり、途方もない仕事のイベントが舞い込んだり、
長丁場のうちには予想外の出来事がいくつも起きるものだ。
それでもただ私は、自分の立てたスケジュールの進捗をチェックして
不意の出来事を飲み込んでは淡々と予定を消化していくだけだ。
自分の立てた道筋、方法論が揺らいではいけないのだ。
当たり前のことだが、準備は単に勉強するだけではない。
生活と心と体を試験向けに作り上げていくのだが、
試験用の机や文具をそろえたり、寝起きのリズムを変えたり
受験日に体調がピークになるように食事や行動に注意を払って、
生活や仕事で忙殺される隙間に詰め込む勉強時間などは
ごく限られたものだ。
そんな手を尽くしてやがて受験を終えると、
準備を始めた頃にはまだ寒かった季節は、すでに夏にさしかかっていた。
だが試験が終わっても結果が返ってくるまではまた幾日も待たねばならず、
また長い長い宙ぶらりんの期間を過ごさねばならないのだった。
この間、普段通りの仕事もし、いつもの生活を取り戻し、
受験まで先延ばしにしていた趣味にお金と時間を使い、
また休暇をとって旅行にも出かけてきた。
私にしては長い旅、それも船の旅から帰ってくると
ひげもだいぶいい具合に伸びてきていたのだが、
それは今回の休暇も終わりに近づいたということだ。
そこでいつものようにひげを剃ろうとしたのだが、
ふと気がついてPCを上げメールボックスを見ると、
ちょうど試験の合格通知が届いていた。
不思議とこの合格には何の感動もなかったのだが、
ひげを剃りはじめると、休暇が終わったこととともに、
長かった私の試験期間もようやく終わったことが
じわじわと実感されてきたのだった。