九月九日を歩く
九月九日は重陽の節句。
中国から伝来し、江戸時代には武家の祝日でもあり、
かつては世の中をあげて到来を喜んだはずだが、
いつの間にか古色にあせて忘れられた日だ。
昔はこの日に野宴を開き菊酒を飲み栗飯を食べて
長命と武運長久を願ったそうで、
私も昔の本を開き菊酒を真似てみる。
故事をたどり、いわれを調べ真似て酒を酌むことは、
単に懐古趣味やいにしえの足跡をたどるだけでなく、
まるで打ち捨てられた草ぼうぼうの野原に、人知れず咲く菊の花でも求めて歩くような趣がある。
これはあたかも時空を超えた秋九月の野の散歩。
学生の時分大好きで一度読んだら覚えてしまった陶淵明の詩に
ちょうどこの時節の記述があった。
露は凄として喧風息み (つゆはせいとして けんぷうやみ)
気は澄みて天象明らかなり (きはすみて てんしょうあきらかなり)
(露気は冷え、暖かい風も吹かなくなり
大気は澄み切って全天が晴れ渡っている ・・・拙訳)
焼け付くような夏の日は去って、もうこんな季節に至ったのだ。
こんな日にはどうして秋の野に出かけずにおられましょうか。。。
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・・と云うわけで私はこれから外出せんと欲す。
当然帰りは食用菊を買って夜は酒盛り。
(注:陶淵明の引用は原文と漢字が異なっていると思いますが
パソコン漢字が極めて愚劣なるがゆえ、簡便に記しましたので御免)