『瞳子』   ・---世の中への違和感を持って生きる | 酒とホラの日々。

『瞳子』   ・---世の中への違和感を持って生きる

瞳子 『瞳子』 吉野 朔美 / 小学館


装丁がきれいだったので何気なく手にした普段あまり読まない漫画本だが、
1980年代に学生時代を過ごした著者の回想的作品のようだ。


テーマは世の中の大勢派への違和感を持って生きること、
とでもいえようか、ニートの起源でも見たような気分になった。


大学卒業後就職もせず親の家でぶらぶら過ごす主人公の瞳子は、
対人接触上の障害があるわけでもなければ、
勘違いのオンリーワンの自分を求めているわけでもない。

ただ、自分は何者かを探すというよりも、「自分が何者でないか」
よく見据えている。


世の中がバブルへ向かおうとしているくらいの時代に
特に大きな障害もなく順調そうに大学までを過ごした人間が
世の中のマジョリティに同調しない行動をとるのは
さぞ過ごしにくかったのではないのだろうか、とも想像する。

(あくまで私の想像だが)


言い寄った金持ちのハンサムを受け入れられなかった瞳子は
次のように友人たちに述解する。
「好きなことが一緒なことより、嫌いなことがいっしょの方が大事な気がする」


今はなんでもポジティブにとらえないことは悪であるような風潮が世の中を支配していて、
パートナーとの関係も明るく前向きにネガティブな面を排除して努力して作っていくものだという
ある種の勘違いが横行しているが、
瞳子の言葉は、
意図して作られた協調だけでなく、
情けなさや負の面を互いにさらけ出して共有できる間を持てる関係が
パートナーなのだ、ということを突いている。


人間は努力して負の面・陰の面を排除して完全な人間になるわけではない。
光と影、正と負との混合体であること全部を肯定することが
自分として生きる唯一の道だ。


現在はいよいよもって経済的価値だけが唯一の価値基準のような有様が進展して、
意識無意識のうちにも、社会的世間的価値への迎合圧力に違和感を覚える
人は多いだろう。


この作品はやはりそんな違和感があったことの、80年代における風景である。


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今は漫画文庫でも出ているようだが、装丁のきれいな単行本のほうが
手に入れるなら圧倒的にお奨め。