瞑想Ⅱ | 酒とホラの日々。

瞑想Ⅱ

瞑想は儀式や教室やマニュアル本の中にあるわけではない。

瞑想とは私の中の小さな子供のようなものだ。
哲学者の三木清が、瞑想は上から降りてくると言ったように、
それはいつでもどこでも何をしているときでもまとわりついてくる。
でも、ついなおざりに子供をあしらってしまうように
今は忙しいから向こうに行ってなさいとか、また後でねと、
瞑想もまた、いい加減に扱われてしまう。
こんな、まとわりつく瞑想を無価値な邪魔なものとして

あしらうことに終始している私たちは、

時には意図的に瞑想のためにまとまった時間をとってやる必要な場合もある。
時に小さな子供にまとまった時間をとってあげることが必要なように。

大人は子供の相手をすることを、わざわざ時間を割いて子供に
「してあげること」だと考えるものも多いだろうが、
ところが実際子供の相手をするということは、
大人が子供に与えられることのほうが多いものだ。
子供の純粋な喜びや驚きに遭遇し、またそのことに大人が驚き、喜ぶことになる。
瞑想による利益とはそういうものだ。
瞑想は社会的生産性や経済効率のためには無価値なものだろうが、
瞑想による利益とはそういうものだ。