司書に恵まれないあなたに
先日某書店でのこと・・・
「電話で取り置きを頼んでたんですけど、これありますかね」
そう言って見せたHPのプリントには「沖縄軽便鉄道は死せず」とあったのだが
レジの兄ちゃん、見るなり奥へ向って大声で叫んだ。
「おきなわ、かるべんてつどうって、ありますかー!?」
か、かるべんって・・・
本屋の実名公表しようと思ったが、バイト学生だろうから今日は勘弁してやろう。
それにしても世の中、かかりつけの医者を持つように、
何でも相談するいきつけの本屋を持つ人も多いらしいが
なかなか図書館に行けなくて、良い司書さんに巡り会えないような
場合の本屋は古書店が良い。
昔ながらの骨のある新刊書店は、次々姿を消して、
いまや大規模チェーン店では、冒頭の話のように、漢字もロクに読めないバイトが
店番をしている程度だからという理由だけではない。
なぜなら、新刊書の本屋の場合、店に並んだ本はほとんどが流通業者の割り当てによる
委託販売品だが、古本屋の本は基本的に店主の蔵書である。
そのため本への精通度がまるで違うのである。
また、大規模資本にも系列にも寄りかからず、自らの蔵書と知識を足がかりにして、
世の中の荒波に向けて書店を開こうとしたくらいの店主ばかりなので、
本自体や内容はもちろん、出版物、古書流通の事情に通じていること半端ではない。
店主はそのまま書籍に関する鍛え抜かれた人間データベースなのである。
私もそんな古書店にお世話になっているのだが、たいていネットすら通じない
頑固一徹零細店舗ばかりであるところ、唯一オンラインで利用しているのが
香澄堂書店
だけなので、左にバナーを貼り付けているのである。
オフでは会社帰りの道によく立ち寄る二件の個性の違う爺さんの古書店があるが、
良い古書店の存在は味気ない会社と家の往復に文化的彩りを添えてくれている。
(これでもう少し愛想がいいとか色気があるかすれば言うことないのだが、まあ
偏屈そうな親父と古本屋はセットのようなものだから仕方がない)