チュウハイです。

 

 

 

今日は休暇にしました。

 

 

朝、すこーしだけ作業をしたんですよ。

 

 

 

バックを綺麗にしてブレース削って。

 

 

でも、ダメだ…続けられん。

 

普段なら寝る時間を削って木を削るヘンタイですが。

 

 

 

 

 

私が繋がりを感じる皆様へ状況を知っていただきたくもあり、

 

胸の内をどこかに吐露したくもあり、

 

現状を綴ります。


とはいえ、読んでくれというのも憚られる内容です。

 

読むのもコメントもよしなに。

 

 

 

 

 

 

先週、パーキンソン病を患う父の認知症が一気に進みました。

 

連絡してきた母の言葉を借りれば

 

父が人として「壊れました」。

 

要は、まともなコミュニケーションを取れないボケ老人になったと言えばよいでしょうか(家族や介護士さんらを認識はできる)。

 

 

 

その事実に、思いのほかショックを受けている私です。

 

 

 

いつかはそうなる、と分かっていながら準備が全く出来てませんで、

 

自分で驚くほどの精神的ダメージを負ってしまいました。

 

 

 

 

本日までに少し落ち着いてきましたが、

 

父に対する様々な思いや考えが波のように去来します。

 

怒り、悲しみ、疑問、後悔、といった感情が、文字通り胸の中で重く渦を巻きます。

 

 

オッサンになり図々しくもなり、動揺することも減るものですが、

 

こんなに不安定になるんだな、と。

 

禁煙よりキツイw

 

 

 

にしても準備なんか、出来ないよ。

 

とも思います。

 

 

 

これまで、父の認知症の症状は緩慢に進んできたし、これからもそうだと思っていました。

 

「いつの間にか症状が進んじゃったねぇ」という感じで今のような状態になると思っていたんだな。

 

 

それに、「壊れる」数日前に様子を見たときは、それほど状況は悪くなかったのです。

 

にも拘らず、カチッとスイッチを落としたように、父はいきなり壊れてしまった。

 

 

 

本当に驚いた。

 

心臓がドキドキして息がつまるような感覚のアレ。

 

 

 

経過的には、先週の平日に病状を確認し、土日は父の介護・相手をするのに多くの時間を使いました。

 

 

 

最初に病状を見てから、まずは怒りが沸き起こりました。

 

何に怒っているのか。

 

「病気と自分で闘おうとしなかった父」と、「母を顧みることがなかった父」に対して、です。

 

 

より言ってしまえば、「随分、都合がいいヤローだな」と。

 

これは、壊れるずっと以前から私が思っていたことでもあります。

 

なぜ怒るのか、後ほどもう少し詳しく書きます。

 

 

 

病状を確認してひとしきり怒った後、認知症について改めて調べ物をしました。

 

それだけで、意識の持ちようはかなり変わりました。

 

 

怒っても全く仕方ない。

 

何の意味もない。

 

相手は既に、病気で壊れているのだ。

 

 

 

そうなんだ。

 

壊れている。病気によることなのだ。

 

 

 

そう思うと、父と和解出来たような、許せたような部分も出てきました。

 

これまでは怒りを持っていたために、どうしても尖った形で父に接してしまう部分が有りましたが、

 

ようやく、慈しむような愛しいような思いも持つことが出来ました。

 

 

完全に諦めることが出来た、ということかも知れません。

 

そう、「私は」諦めたくなかったんだよな。

 

出来るなら、出来ることをやって欲しいし、その気持ちくらいは見せて欲しかった。

 

これは無いものねだりだった。

 

 

 

裏を返せば、無いものを求めて、

 

壊れた父でなければ、私はちゃんと優しくすることが出来なかった。

 

それも事実で、その事実は私の中で後悔としてずっと残ることでしょう。

 

もっと出来ることもやり方もあったのだろう、と。

 

 

 

ただ、その一方でね。

 

私が持っていた怒りは、家族として正当なものでもあったとは思います。

 

 

壊れる前は、頑なに運動をやらない。病気と闘うことを拒否し、全部人任せ。とにかく周りに甘える。

 

それが父でした。

 

何を言っても届かないし、一緒にやろうとしてもやってくれない。

 

ただただ、逃げられない母に負担を強いる。

 

母を何だと思っている?お互いに幸せにするために結婚したんじゃないのか?

 

と思ってしまう。

 

 

 

そんな状態だったのです。

 

いくら家族だからって、病気だからって、愛があったとしてもキツイ。

 

挙げ句、勝手にひとりで訳のわからない世界に旅立つなんて、ズル過ぎじゃねぇ?

 

 

と、むかっ腹も立つってもんですよ。

 

まあ今となれば仕方がないのですが。

 

 

 

 

で、土日に実際に父の面倒を見て分かったことや私の中での変化も有りまして。


 

壊れた後は、素直に運動をしてくれたり、多少は周りへの気遣いも見られるようになりました。

 

そりゃ、そういう人の方が優しくしてもらえるよ。家族であってもね。

 

 

 

なぜ、壊れる前にそうしてくれなかったのだろう?

 

勿論、そう思います。

 

が、、、、そうできない人こそが、私の知る「父」だったんだな。

 

 

 

壊れた父は、調子が良ければ以前よりも饒舌だしアクティブです。

 

昨日、一昨日は私がかなり時間を割いて相手をしたのが嬉しかったのか、

 

こちらが疲れるほど多くの話をし、ボクシングの真似事なんぞやりました。

 

 

 

その中で聞いた二言が強く刺さりました。

 

 

「運動することの喜びを知った」

 

「みんなで温泉に行こう」

 

 

 

その場で泣きそうになってしまった。

 

 

 

言葉としては本当に何でもない。

 

が、何年も前に父から聞きたかった言葉です。



同時に、そんなことを言う父は、私が知る父ではないのです。

 

そんなことを言えないのが父なのです。

 

 

父はもはや、別の何かになってしまった。

 

それを明確に感じました。

 

 
 
少しだけ嬉しいけれど、とてもとても悲しい言葉。

 

そんな風に胸を突き刺す言葉があるんだな。知らなかったよ。

 

 

 

 

とはいえだ。

 

父の肉体という器は何も変わっていないし、現段階では中身も、私の知る父の少し違う角度のものかと思います。

 

それはまだ救いというか、まだ時間が残されているのだと感じます。

 

今の「壊れた父」も恐らくそう遠くない将来に失われるのでしょうから。

 

 

 

 

ふう。

 

 

 

…まあ。

 

個別のことで一喜一憂せず、絶えず続く喪失に負けないよう、心を強く持っていかねばなりませんね。

 

これからはほぼ毎日介護に参加しますし。

 

状況に慣れていけば、もしかしたらギターを弄る余裕も出てくるかも知れません。

 

 

 

てな感じです。

 

上手く纏められんで読みにくいかと思いますが、ここ数日で起こった私的事件の話でした。

 

 

直近も、ギターDIYがどうなるか分かりまへん。

 

出来るなら箱にはしときたいけれどねぇ。

 

 

 

 

 

では。