無事、一周忌が終わりました。
正直、ホッとしました。

食事の席で、最近ニュースにもなった北朝鮮の
木造船の話題から、母方の家族が北朝鮮に
いた事を知りました。

敗戦後、取るものもないのに毎晩入れ替わり
立ち代わり、ソ連軍がやって来て何か取る
ものはないか物色していたとか。

物を全部売り払ったお金で木造船に乗り、
南朝鮮に逃げようとしたそうです。
ところが途中で船が難破し、飲まず食わずで
一週間くらい歩き続けたと。

母は全く覚えていないそうですが、
幼かった母は祖父におんぶされていたらしく、
すぐ歳上の叔父は恨めしい思いで見ていた
そうです。
体力のある大人達が先に南朝鮮の米軍に
助けを求め、迎えが来た時は助かったと
思ったそうです。
家族10人、ひとりもかける事なく帰国できた
のは奇跡だったとも。

叔父が一番怖かったのは、ソ連兵が
やって来た事でも、船が難破した事でもなく
トイレだったそうです。

収容された難民キャンプみたいな所の
トイレは溝が一本あって、仕切りがなく、
跨いで用を足すのですが、
小さい子供には幅が広かったらしく、
中々跨げなかったんだとか。

え?そこかいな?と口にしてしまいそうに
なりました。
でも、よくよく考えてみたら、
(確か中国にも未だにあるか分かりませんが
10年くらい前にはありました)
勇気いるかも。

父の方は祖父が満州鉄道で働いていた関係で
満州で暮らしていたそうです。
住むにしても、電車に乗るにしても特権階級
を享受していたとか。
いい暮らししてたんだね。
ある日、突然会社から家族を日本に返すよう
通達があり、戦争が終わる前に日本に
戻れたそうです。
現地で終戦を迎えた人たちからしたら、
腹立たしいんだろうなー
と思いながら聞いていました。

こういう機会がないと聞けない話だったので
ブログに載せてみました。

改めて厳しい時代を生きて来た方々に敬意を。
厳しい状況の中、生き延びる事が叶わなかっ
た方々も大勢いたはず。
自ら命を絶つなんて、決して許される事では
ないと強く思いました。