歴史への・・・ | HWD+e

歴史への・・・

そういえばフレアー対マスカラスというのは、是非観ておかなければならなかったカードだったのになと思い出す。両者が同じ舞台に上がった、3/31/12のフロリダ。

フレアーがヒューストンに、という話もあまり聞いたことがないな、そういえばと。なぜだろうと考えてみる。83年頃にはボーシュは引退していたはずだから、その前あたりにSWCWと関係があったのだったか・・・ヒューストン・サミットというのは、ボーシュがヒューストンを譲ったということだったのだろうか。

ヒューストンというのも、不思議なテリトリーだった。ポール・ボーシュはNWAの夏のラスヴェガスで見たこともあるので、NWAにはいた・・・はずだが、独立系とも言われていた。

そもそもテキサスはダラスやフォートワースにFVEが拠を構え、敵対するのがサンアントニオのジョルティック・ジョーという構図。その中でヒューストンは、中立的に、AWA王者ニックを呼び、MSWAとも連携した。メキシコ勢も呼んでいた。NWA王者とAWA王者を呼べるのは、馬場とボーシュだけだと言われていた。広いテキサスの片隅で、ポール・ボーシュはなぜか自由に振舞っていた。

80年には、ここでレイスがマスカラスを挑戦者に迎えて、世界タイトル戦をやっている。続いて夏の日本でも、レイス対マスカラスの世界タイトルマッチは行われている。ここでも馬場とボーシュ。

マスカラスはLAでヒーローになり、アイホーン/マルチネツのニューヨークを経てグレアム時代のWWF、そしてやはりヒスパニックの多いテキサスの、ヒューストンだけで、アメリカでは活動した。南部のNWAゴリコリの地区では、いくらメキシコのエストレージャでも、大きな会場のメーンという目はなかった。

そう思えばヒューストンのような場所とボーシュのようなプロモーターを存在させる意義が見えてくる。マスカラスはここで、確かニックに挑戦するAWA戦も行っている。レイス対マスカラスの世界戦もニック対マスカラスのAWA戦も、それは実現しておかなければならない、歴史への義務に値するカードだからだ。

フレアーとマスカラスが、同じビルヂングにいた時というのは・・・にわかには思い出せないが、確実に言えるのは、フレアーが世界王者として初来日した、81年の秋。蔵前でフレアーが鶴田を退けたその日、マスカラスはマイティ井上を相手に、IWA玉座の防衛を果たしている。或いは、フレアーとマスカラスが同じ場にいたというのは、その時以来31年振りかもしれない。

フレアーはこの81年秋の来日時、天龍、テリー・ファンク(ノーTV)、鶴田の挑戦を受け、原とはノンタイトルのプロモマッチ(ノーTV)をやっているが、今思えばフレアー対マスカラスのタイトル戦TVだったのだなぁと、思わずにはいられない。日本だからこそ、やっておくべきだったと。それは歴史への・・・。

マスカラスは、81年夏の来日では、リック・スティムボートとの、シングル戦をマッチアップされている。夢の対決と煽られ、確かに夢のではあったのだけれど、煽っただけに、子供たちの夏の想い出を、ひどく混乱させる結果になったことを憶えている。

マスカラス対スティムボートという発想は出来ても、マスカラス対フレアーに飛びつくというセンスはない。私ならなにはなくともまずフレアー対マスカラスの実現に走る。そしてきっと、フレアーはスティムボートの何倍も、仮面貴族を生かし切ってみせたことだろう。

レイスはマスカラスのフライングクロスチョップに、回転して吹っ飛びながらも余裕を持ってバンプしていたが、フレアーならマントを翻してのマスカラスのドロップキックに、ローブのままでもんどりうってバンプをとってみせただろうに・・・。

ダスティあたりはヒューストンにも目を配っていたはずだから、できないことはなかったなぁと、今更ながらの、世界史レヴェルの悔恨。

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