ⅣHORSEMEN
97年7月、ヘニングがヘルムスリーのマネージャーも早々に切り上げて、WCWに勇躍登場。フレアーはWWF時代最後にフュードをしたことも忘れ?、身内がやって来たかのごとく、当然ホースメンに入るものとして、歓待し、はしゃぐ。そう、ヘニングは、我々にとっても、最初からホースメン同然だった。
ヘニングは、ご存知ニューヨークのホースメン。フレアーがWWF王者時代に、アーンのように付き添っていた、WWFでのアーンの代わりだ。ヘニングもミネソタ出身のカニアキャンプ卒、AWAタイトルとICタイトルを制し、“ミスターパーフェクト”のキャラをコルヴェットスティングレイのようなフォルムで、颯爽と演じ上げた。彼がホースマンでなくて誰がホースマンかというような、極め付きのホースマンだった。
フレアーのファンが大好きなアナザー、それがホースマンであり、WWFでフレアーと組むなら、このホースマンしかいなかった。ヒーナンを加えての三人編成で、四本指こそ挙げなかったが、これもいわばホースメンである。

この“ホースメン”は、一年以上続いたのだが、サヴァイヴァーでのアルティメット直前リーヴに伴い、ブッカーでもあったカートはその責任を取る形で、ロイズの保険金をフイにしてまで怪我を押して復帰し、アルティの代役としてフレアーに対し向かうセンセーションをもって、これを乗り切っている。これで悪後味なブレイクアップ。
以来フレアーとベビーのカートはフュードを続け、スーパーブロウル前週のロウでの、ルーザーリーヴWWFマッチまで戦う。そしてフレアーは次の週にWCWに現れる。今回はこのまま来るということらしいが、フレアーだけは昔から、自由に行き来している・・・。
カートはこの93年春以降、ルガーやマイクルスとのシリーズも一通り請け負うが、カート有利のフュード構成ではもちろんなかったし、また怪我がちでもあった。そしてヘルムスリのマネージャーに就任したという節目の矢先、WCWにジャンプしている。
マネージャーやコメンテーターよりは、もちろんその方がいいに決まっていた。サヴェージ同様、カートもWCWで生き返る。アナザーのビッグリーグの必要性は、はっきりあるのだ。
WCWでは引退したアーンに請われ、NO.2のスポットをもってホースメン入り。そしてあのウォーゲームを起こす。だから第11次のホースメンはわずか2週間。カートにはもう少し正統なホースメンキャリアを持ってしばらく活躍させたかったが、ま、これもアルティメットのせいだろう・・・。


フレアーから奪ったローブの献上式典はちょっとしたイヴェントだったが、あのローブがまた、カートには似合っていた。NWO、US王座、レッドネックスタグ王座、ラップイズクラップ・・。いずれにしても後期のWWF時代よりは、カートを再び大いに売ったと言える。ハロウィンではフレアーの挑戦を受けるUS戦を闘っているが、フレアーとカートのPPVのタイトル戦も、これが唯一ではないか。これもまた、やっておかなければならなかったことのひとつであろう。
カートはあんな悪行とともにホースメンを去っているのに、後期のWCWではアシスタントブッカーとして、同じアシスタントブッカーのアーンと、涼しい顔してコミッティ会議なぞしているところが、やはりホースメンなのだなぁと、らしさに頬が緩んだことを憶う。
第12次、最後の編成のホースメンは翌98年9月、カート事件から実に一年、この間もまた、ベンワーは、一人で大車輪で、物凄く頑張っていた。
WWE リック・フレアー・アンド・フォー・ホースメンWWE

¥3,518
楽天
ヘニングは、ご存知ニューヨークのホースメン。フレアーがWWF王者時代に、アーンのように付き添っていた、WWFでのアーンの代わりだ。ヘニングもミネソタ出身のカニアキャンプ卒、AWAタイトルとICタイトルを制し、“ミスターパーフェクト”のキャラをコルヴェットスティングレイのようなフォルムで、颯爽と演じ上げた。彼がホースマンでなくて誰がホースマンかというような、極め付きのホースマンだった。
フレアーのファンが大好きなアナザー、それがホースマンであり、WWFでフレアーと組むなら、このホースマンしかいなかった。ヒーナンを加えての三人編成で、四本指こそ挙げなかったが、これもいわばホースメンである。

この“ホースメン”は、一年以上続いたのだが、サヴァイヴァーでのアルティメット直前リーヴに伴い、ブッカーでもあったカートはその責任を取る形で、ロイズの保険金をフイにしてまで怪我を押して復帰し、アルティの代役としてフレアーに対し向かうセンセーションをもって、これを乗り切っている。これで悪後味なブレイクアップ。
以来フレアーとベビーのカートはフュードを続け、スーパーブロウル前週のロウでの、ルーザーリーヴWWFマッチまで戦う。そしてフレアーは次の週にWCWに現れる。今回はこのまま来るということらしいが、フレアーだけは昔から、自由に行き来している・・・。
カートはこの93年春以降、ルガーやマイクルスとのシリーズも一通り請け負うが、カート有利のフュード構成ではもちろんなかったし、また怪我がちでもあった。そしてヘルムスリのマネージャーに就任したという節目の矢先、WCWにジャンプしている。
マネージャーやコメンテーターよりは、もちろんその方がいいに決まっていた。サヴェージ同様、カートもWCWで生き返る。アナザーのビッグリーグの必要性は、はっきりあるのだ。
WCWでは引退したアーンに請われ、NO.2のスポットをもってホースメン入り。そしてあのウォーゲームを起こす。だから第11次のホースメンはわずか2週間。カートにはもう少し正統なホースメンキャリアを持ってしばらく活躍させたかったが、ま、これもアルティメットのせいだろう・・・。


フレアーから奪ったローブの献上式典はちょっとしたイヴェントだったが、あのローブがまた、カートには似合っていた。NWO、US王座、レッドネックスタグ王座、ラップイズクラップ・・。いずれにしても後期のWWF時代よりは、カートを再び大いに売ったと言える。ハロウィンではフレアーの挑戦を受けるUS戦を闘っているが、フレアーとカートのPPVのタイトル戦も、これが唯一ではないか。これもまた、やっておかなければならなかったことのひとつであろう。
カートはあんな悪行とともにホースメンを去っているのに、後期のWCWではアシスタントブッカーとして、同じアシスタントブッカーのアーンと、涼しい顔してコミッティ会議なぞしているところが、やはりホースメンなのだなぁと、らしさに頬が緩んだことを憶う。
第12次、最後の編成のホースメンは翌98年9月、カート事件から実に一年、この間もまた、ベンワーは、一人で大車輪で、物凄く頑張っていた。
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