明日歴史的タイトル戦
チェンバーだが、セミのタイトル戦に、キングが名を連ねる。フレアーと同じ61歳、ビゲストリーグのPPVのタイトルマッチで、勝てばおそらく誰も破れない、記録を打ち立てる。
曰く、キングは全盛時、WWFタイトル戦を戦っていないと。そうだっだろうか。そうだったのかもしれない。ブレット・ハートとフュードはしていたはずだから、ブレットとタイトル戦をしていたかのように思っていた。
キングは、元AWAチャンピオン。88年、WWFの引き抜き攻勢でもう、興行機能を崩壊させていた末期AWAガニアは、WWFの進撃をものともせずにミッドサウスコロシアムのショーを継続させ得ていたメンフィスのCWAに、AWAタイトルの運営を頼った。
CWAは、テネシーのNWAメンバー、ニック・グラスのナッシュヴィル・オフィスから独立した組織。NWAメンバーと袂を分った成り行き上、AWAと友好の道を選ぶ。以来CWAは、AWAの一員視されていた。
かつて“ファビュラスワン”と言われたカリスマのジャッキー・ファーゴで旺盛を誇った高名なミッドアメリカ。ファーゴを上回ると目された新時代の勇者ジェリー・ローラーに去られ、ナッシュヴィルのオフィスを閉じていく。逆にそれに代わるように、メンフィスのCWAオフィスは伸びる。テネシーにはNWAのメンバーはいなくなり、テネシーはAWA圏になって行く。当時これはセンセーショナルなことだった。
ミッドアメリカのタイトルは、すべてAWA系のCWAが引き継いだ。元々フロリダのサザンタイトルの分裂タイトルだったミッドアメリカのNWA南部タイトルは、晴れて?AWA南部タイトルとなった。伝統のNWAミッドアメリカ・タイトルも、AWA系のタイトルとなった。
しかしNWAは、ナッシュヴィル崩壊後は、メンフィスをナッシュヴィルの、テネシーにおけるNWAメンバーの後継と看做しているところもあり、特に84年以降は、フレアーのブッキングをも許し、キングは一度?フレアーに挑戦したこともある。だからキングは、世界ヘヴィー級戦を闘ったことは、ないわけではない。
CWAはAWAの庇護下にいたと言えど、ボックウィンクルが頻繁に来ることはなく、実質は独立系と言われていた。ミッドサウスコロシアムはボックウィンクルが来るまでもなく、ローラーのカリスマで満杯になった。大事なのはローラーがノビノビ自由に振舞えること。タイトルも、自前であつらえた。
メンフィスは、ヴァーネットが切り上げたオーストラリアから、マーク・ルーウィンのタイトルを誘致。CWAタイトルを引き継いだ形で、ローラーはCWA「世界」王者になる。これが一時はキングの代名詞だった。ミッドサウスコロシアムのファンには、これで十分だった。だから希代のカリスマには、主要王座に座る機会もなかった。
キングに突然AWA座位のチャンスが巡ってきたのは、前述の通りガニアが困り果ててから。AWA圏で頼れるのは、そのカリスマでミッドサウス城を堅持する、ローラーしかいなかった。ガニアがAWAタイトルを緊急非難させたとか、一時保管を託したとか、疎開させたとか、里子に出したとか、いろいろ喩えられた。キングがヘニングを叩いたその脚で、ヘニングはWWF入りし、Mr.Pとなっている。キングが主要王座の一角を得たのは、かく場面での、かくの理由でのことだった。
曰く、キングは全盛時、WWFタイトル戦を戦っていないと。そうだっだろうか。そうだったのかもしれない。ブレット・ハートとフュードはしていたはずだから、ブレットとタイトル戦をしていたかのように思っていた。
キングは、元AWAチャンピオン。88年、WWFの引き抜き攻勢でもう、興行機能を崩壊させていた末期AWAガニアは、WWFの進撃をものともせずにミッドサウスコロシアムのショーを継続させ得ていたメンフィスのCWAに、AWAタイトルの運営を頼った。
CWAは、テネシーのNWAメンバー、ニック・グラスのナッシュヴィル・オフィスから独立した組織。NWAメンバーと袂を分った成り行き上、AWAと友好の道を選ぶ。以来CWAは、AWAの一員視されていた。
かつて“ファビュラスワン”と言われたカリスマのジャッキー・ファーゴで旺盛を誇った高名なミッドアメリカ。ファーゴを上回ると目された新時代の勇者ジェリー・ローラーに去られ、ナッシュヴィルのオフィスを閉じていく。逆にそれに代わるように、メンフィスのCWAオフィスは伸びる。テネシーにはNWAのメンバーはいなくなり、テネシーはAWA圏になって行く。当時これはセンセーショナルなことだった。
ミッドアメリカのタイトルは、すべてAWA系のCWAが引き継いだ。元々フロリダのサザンタイトルの分裂タイトルだったミッドアメリカのNWA南部タイトルは、晴れて?AWA南部タイトルとなった。伝統のNWAミッドアメリカ・タイトルも、AWA系のタイトルとなった。
しかしNWAは、ナッシュヴィル崩壊後は、メンフィスをナッシュヴィルの、テネシーにおけるNWAメンバーの後継と看做しているところもあり、特に84年以降は、フレアーのブッキングをも許し、キングは一度?フレアーに挑戦したこともある。だからキングは、世界ヘヴィー級戦を闘ったことは、ないわけではない。
CWAはAWAの庇護下にいたと言えど、ボックウィンクルが頻繁に来ることはなく、実質は独立系と言われていた。ミッドサウスコロシアムはボックウィンクルが来るまでもなく、ローラーのカリスマで満杯になった。大事なのはローラーがノビノビ自由に振舞えること。タイトルも、自前であつらえた。
メンフィスは、ヴァーネットが切り上げたオーストラリアから、マーク・ルーウィンのタイトルを誘致。CWAタイトルを引き継いだ形で、ローラーはCWA「世界」王者になる。これが一時はキングの代名詞だった。ミッドサウスコロシアムのファンには、これで十分だった。だから希代のカリスマには、主要王座に座る機会もなかった。
キングに突然AWA座位のチャンスが巡ってきたのは、前述の通りガニアが困り果ててから。AWA圏で頼れるのは、そのカリスマでミッドサウス城を堅持する、ローラーしかいなかった。ガニアがAWAタイトルを緊急非難させたとか、一時保管を託したとか、疎開させたとか、里子に出したとか、いろいろ喩えられた。キングがヘニングを叩いたその脚で、ヘニングはWWF入りし、Mr.Pとなっている。キングが主要王座の一角を得たのは、かく場面での、かくの理由でのことだった。
WWE レジェンド・オブ・レスリング VOL.2 |