US Championships(1)
USとはユナイテッドステイツということだから、複数の州に通用するタイトルなら、それはステイト・タイトルではないわけで、ユナイテッドステイツ・タイトル即ちUSタイトルという呼称以外は見当たらなくなる。だからテリトリー制の大NWA時代(85年以前)には、USタイトルというべきタイトルは、各地に存在した。
実際、サンフランシスコにもデトロイトにも、そして日本にも、USを名乗るタイトルはあったし、カロライナUSタイトルが通用していたのはミッドアトランティックのクロケット興行地のみで、フロリダでUSタイトルの役割を果たしていたのは、サウザン・タイトルだったという具合。
同様に、テキサスではアメリカン・タイトル、ミッドサウスではノースアメリカン・タイトル、ハートランドではセントラルステーツ・タイトル、LAのアメリカス・タイトル、ジョージアではナショナル・タイトル・・・。WWFタイトルとて、大NWA時代の規則上の正式な理解は、東部数州におけるUSタイトルだった。
AWA“世界”タイトルは、これこそ元々USタイトル。大NWAは最後まで、AWAタイトルを北部数州におけるUSタイトルだという見解を崩さなかった。USタイトルは、実質的にはたくさんあった。
大NWA時代には、NWAの七大USタイトルなどという言い方もあり、有力幹部の勢力変化を見る標を提供していたのだが、南部王座や中西部王座は、成り立ちによる概念的な区別上、USタイトルの一種と分類されても、ナショナル・タイトルにはなりえない性格を有してはいた。
USタイトルの基本的な大元は、これはシカゴのバディ・ロジャース・オリジナル、だと思う。当時マソニックを差し置いてNWAの顔役的な存在だった、ピンキー・ジョージやフレッド・コーラのプロパティ。世界王者テーズを完全に人気で凌ぐネイッチャーボーイに、新しくてカラフルな準世界タイトルレヴェルのゴールドを与えて、世界王者のように、全米を回らせる。それはいいアイディアだった。
特にNYとシカゴで、US王者ロジャースは、世界王者以上の存在だった。中継地デトロイトやオハイオでも、US王者の方が求められた。コーラ、ピンキー、トーツ・モント、そしてヴィンス・マクマン・シニア・・・彼らの間での王者は、もはやUSチャンプのロジャースだった。当時最も観客動員力を持っていたのは、このエリアの王者ロジャースの方だった。USタイトルというのは、そもそういうタイトルだった。
シカゴは、ここの看板王座となったUSベルトを、ロジャース不在時にちょいちょいロジャースから取り上げ、興行運営に利用する。ロジャースは他所でもUS王者のイメージを維持しつつ、TV王者もしくは世界TV王者の名で歓待される。US王者ロジャースのそのあまりに大きな影響力は、各地に自然に、分派をし始める。ロジャース時代に使われた世界TV王者などというプレイスも、US王者ロジャースの、イメージの分派だと思う。
シカゴの、ロジャースでないUS王者はさらに分派する。元NWAjr.王者の若きミネソタの虎は、US王者のままミネソタへ帰り、そのUS王座を看板にミネソタでプロモーションを作り、そこに常駐し始める。US王座の公財産化が始まるのと同時に、その権益の新たな独占を狙う者も現れる。
あるいはイタリア系の喧嘩自慢アンジェロ・ポッフォは、その腕っ節にモノを言わせてシカゴ王座を強奪したあげくデトロイトに匿われ、ここで正式なUS王者認定を受けてしまう。
シカゴはシカゴで、ミネソタからもデトロイトからも、概念上の剥奪を粛々と執行、シカゴ王座を続ける。
若きミネソタの虎ガニアは・・・
実際、サンフランシスコにもデトロイトにも、そして日本にも、USを名乗るタイトルはあったし、カロライナUSタイトルが通用していたのはミッドアトランティックのクロケット興行地のみで、フロリダでUSタイトルの役割を果たしていたのは、サウザン・タイトルだったという具合。
同様に、テキサスではアメリカン・タイトル、ミッドサウスではノースアメリカン・タイトル、ハートランドではセントラルステーツ・タイトル、LAのアメリカス・タイトル、ジョージアではナショナル・タイトル・・・。WWFタイトルとて、大NWA時代の規則上の正式な理解は、東部数州におけるUSタイトルだった。
AWA“世界”タイトルは、これこそ元々USタイトル。大NWAは最後まで、AWAタイトルを北部数州におけるUSタイトルだという見解を崩さなかった。USタイトルは、実質的にはたくさんあった。
大NWA時代には、NWAの七大USタイトルなどという言い方もあり、有力幹部の勢力変化を見る標を提供していたのだが、南部王座や中西部王座は、成り立ちによる概念的な区別上、USタイトルの一種と分類されても、ナショナル・タイトルにはなりえない性格を有してはいた。
USタイトルの基本的な大元は、これはシカゴのバディ・ロジャース・オリジナル、だと思う。当時マソニックを差し置いてNWAの顔役的な存在だった、ピンキー・ジョージやフレッド・コーラのプロパティ。世界王者テーズを完全に人気で凌ぐネイッチャーボーイに、新しくてカラフルな準世界タイトルレヴェルのゴールドを与えて、世界王者のように、全米を回らせる。それはいいアイディアだった。
特にNYとシカゴで、US王者ロジャースは、世界王者以上の存在だった。中継地デトロイトやオハイオでも、US王者の方が求められた。コーラ、ピンキー、トーツ・モント、そしてヴィンス・マクマン・シニア・・・彼らの間での王者は、もはやUSチャンプのロジャースだった。当時最も観客動員力を持っていたのは、このエリアの王者ロジャースの方だった。USタイトルというのは、そもそういうタイトルだった。
シカゴは、ここの看板王座となったUSベルトを、ロジャース不在時にちょいちょいロジャースから取り上げ、興行運営に利用する。ロジャースは他所でもUS王者のイメージを維持しつつ、TV王者もしくは世界TV王者の名で歓待される。US王者ロジャースのそのあまりに大きな影響力は、各地に自然に、分派をし始める。ロジャース時代に使われた世界TV王者などというプレイスも、US王者ロジャースの、イメージの分派だと思う。
シカゴの、ロジャースでないUS王者はさらに分派する。元NWAjr.王者の若きミネソタの虎は、US王者のままミネソタへ帰り、そのUS王座を看板にミネソタでプロモーションを作り、そこに常駐し始める。US王座の公財産化が始まるのと同時に、その権益の新たな独占を狙う者も現れる。
あるいはイタリア系の喧嘩自慢アンジェロ・ポッフォは、その腕っ節にモノを言わせてシカゴ王座を強奪したあげくデトロイトに匿われ、ここで正式なUS王者認定を受けてしまう。
シカゴはシカゴで、ミネソタからもデトロイトからも、概念上の剥奪を粛々と執行、シカゴ王座を続ける。
若きミネソタの虎ガニアは・・・