龍も麒麟も、昔は本当に居た | HWD+e

龍も麒麟も、昔は本当に居た

 78年にシャーロッテにネイチュアボーイがいたというのは、今や本当にあれは、神話か伝説か、創造上の生物かのように、フレアーがTwitterに使っている写真を見る時など、思える時もある。我々にとっては近くて遠い、少なくともナポレオンや信長のような、望めない幻の日だ。


 しかし太古の白亜紀、空にはプテラノドンが滑空していたのだから、ドラゴンは本当にいたことになるのだからと。オカピの祖先のようなシヴァテリなんとかなど、まさしく狗神さんであり麒麟さんでもあるのだからと。・・・少し違うのかもしれないが・・。


 麒麟が空想の生き物であるなら、麒麟児もまた空想の生物である。しかし麒麟児を見たなら、麒麟もまたそこに居たはずである。


 おそらくこれも竹内産だと思う。その漢字表記がなぜかはまったのは、ネイティヴアメリカンの祖先と我々が、いにしえに同根だったゆえだろうと誇る。颯爽風情の美しき、南部の麒麟児。麒麟児を何と訳す。麒麟児もまた、ネイチュアボーイと訳すべきなのである。この麒麟児としか表現できないジャック・ブリスコを見たことがあるなら、麒麟もまた、確実にそこに居たことになるという逆説も真説になる。


 麒麟児の実在から、麒麟の実在を証明する。それもまた、レスリングのエシックな仕事のひとつである。麒麟児を創らしむることで、我々は麒麟の実在をも強弁し得る。レスリングとは普通の餓鬼が必死に自転車を漕ぐことではない。麒麟児というのはブリスコを迎えるためにあった言葉だと、あらためてそう思え。日本のファンが、“Kirinji”という最高の麗句をブリスコに送ったことを、本国のファンも、歴史の記憶へと確実に留めるのだ。


 南部では、ネイチュアボーイと言えば、エディ・グレアムを指した。自身もアリゾナ大の名アマチュアだった、切っての理論派グレアムは、ネイチュアボーイゆかりのフィギュアフォーをオクラホマの麒麟児に伝授、自身もNWAプレジデントとなるとともに、ジャックを世界に登らす。前後して、LAのWWAもNYのWWWFも配下に収め、再び、NWA最強時代がやって来る。


 冷静沈着なDFJに対し、こちらはネイティヴアメリカンの血を引く、エキゾチックさがセクシーな、スピリチュアルでホットな、ぎらつく眼光のハンサムガイ。スピニングトゥのように必ず回転してから入るけれんのフィギュア4を最初に怠らず愛用したのは、ブリスコだったと思う。


 ブリスコの時代、回転して入るフィギュア4は、もっともクールなムーヴだった。若い本格派の誰もが、フィギュア4を自分のものにと精進した。フレアー、デビアシー、ヴァレンタイン、マイク・グレアム、グレッグ・ガニア、スレーター、ジェリー・ブリスコ、オースティン・アイドル・・・。ブリスコを中心に全てが回っていた。


 68歳ということだから、思えば意外に若かった。85年当時43歳ということは、昨マニアのHBKやデッドマンぐらい。元世界王者としては、まだやれたはずだったのだなぁ。


 84年、ジョージア・チャンピオンシップ・レスリングの、共同経営者に相当する株式を、VKMに売り払い、GCWは一時、VKMの会社になる。GCWのWTBS番組“WCW”には、WWFナショナル王者の肩書きで、スポイラーが登場したりする。


 NWAサイドからはブリスコ兄弟ブルータス論もあったが、そもそも最初に、ヴァーネットを共謀して追い落として発端を作ったのは、誰だったか。とにもかくにも、あの戦争の思い出を作ってくれたのも、ブリスコではあった。


 ブリスコは若い頃から、ヘヴィースモーカーだったはずだ。チャンプを降りてからは、スタミナ面でかなりのデクラインが顕著だった。同じネイティヴアメリカン系のヤングブラッド兄弟とのフュードで一時復活したが、それが最終マッチとなっていく。


 フロリダで自動車関係の何かをして、長らくマットビズと関係を絶っていたことは、あの華やかなチャンプ時代を持った者としては、果たしてそれでよかったのだろうかとは思う。HOFでの名誉回復?を待っていたかのように、去ったわけだけれど。


 肺気腫を患っていたとも聞く。それは、神の生物が公害により絶滅させられたような感覚で、いささかチョーキーな思いにも襲われるが。



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