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 卑弥呼の宮殿跡だったにせよそうでなかったにせよ、問題はクリアされないどころかもっと深くなる。研究者の見解を二分した論争の、一方は必ず敗北して研究者生命を失うとかいう、そんなことでもない。


 奈良巻向なら、まずなぜ、それを記紀に書かなかったのかということになる。口伝させなかったのかということになる。歌にして後世に遺さなかったのかと。それに付随すればいろいろばれてもくる。


 見れば駅の直ぐそば、線路の直ぐ脇だ。よく今まで見つからなかったものだ。だったら作った駅のその下には、何があったのかと言いたくもなる。運悪く見つからなかったのか、都合よく見つかったのか。これで何を言い、何を表現したいのか。


 奈良にヒミコでもヒメミコでもフィミヒョウ(当時の魏の発音では、卑弥呼と書いてそう発音するらしい)でも、とにかくそんな名前の女王さんがいて、周囲30ヶ国を束ねていたとすれば、悠に大阪京都和歌山兵庫に勢力圏は及ぶ。外国の使徒が来てそれをこの島の代表国と感じても当然だが、では果たしてその国は、その栄華を次代に伝えずに、どこへ消えた。倭国とならずになぜ幻となったのか。


 神武以来の何とか一系。3世紀と言えば、もうそういう言葉が唸っていたと、稗田の某が詠っている。どうするのか。ダブルスタンダードで、文献学と考古学は無視し合うのか。もう民間のファンがぶっちゃけあってる段階で、学者はいつ目を覚ます。


 卑弥呼の宮殿跡でなかったとしたら、では誰がいた。卑弥呼の宮殿と目される支配者的屋敷の、主はどこの権力者か。その治めた国家は、またぞろどこか。そしてなぜその国家は、倭国となったという正式な文献を、世に残せなかったのか。


 線路の脇から卑弥呼の宮殿見つかりと。2009になってと。邪馬台国が大和朝廷になった証拠ではと。金印が近くにあるかもしれないぞと。困ったものだ。メディアのこのお調子こきに、多くの古代史ファンは頭を抱えている。そんなことじゃないんだよ、と。金印は・・・線路工事した人が、とっくの昔に見つけてるかもな。


 卑弥呼が住んでいたか気になるか? 気になるねー、オレもあのでかい古墳に、本当は誰が祭られているのか。手付かずの状態で全市民に公開されなかった時点で、もうそれは学問ではないし、真相も闇の中なのだ。


 卑弥呼と邪馬壱国ばかりが謎だ幻だロマンだと言われるが、アマタリシヒコも郭ムソウも、謎と言えば大謎ではないか。ロマンだったのは記紀偽書説と九州が、あまりつながらなかったから。畿内説が浮上すればするほど、帳尻合わせも後に引けなくなる。


 所謂古代史の謎が解けるのは、一定の連中が腹を括った時だ。それまでファンはロマンの名のもとに、言いたいことはいくらでも言っていいのだ。


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