St.Valentine's day Massacre
29年のシカゴの事件のことは分からずも、確かいつかのNOWAYOUTのサブタイトルがこれだったかなとど。ミスター・サイトーのリタイアエヴェントのサブタイトルもこれだったかなど。しかしこの綴りに初めて接したのは、83年2月のこの時期のことである。
追い詰められる超新星。ブルーノやペドロがそうだったように、77年に彗星のごとく現れた青年王者にも、チェンジは求められていた。周囲の無言の圧力。それはファンからすらさえも。
迫り来るジョージアの魔の手。スペクトラムを擁するペンシルヴァニアが、陥落するかも知れなかった。現実のものとなる戦争の足音は、人気の陰りを見せ始めた王者では戦えないとの声を、日増しに募らせた。時はスーパーフライ・ジミー・スヌーカの人気が、頂点を迎えんとしていた。誰がどう見ても、メーンはジミーを使った方がいい。人々が最後に見て帰りたいのはジミーだと、それは子供にも分かった。
既に実質ボスだったVKMは、前年ボブを最も追い込んだムラコを、カロライナから呼び戻す。83年2月14日MSG、St.Valentine's day Massacre。この日遂に、アメリカのマグメディアはリングサイドを追われる。だからこのショーの報道は日本の雑誌でもされていない。バックランド対ムラコのタイトル戦は、タイムアッフドローの後の延長の末、ノーコンテスト。タイトルは取り上げられ、預かりとなる。
ボブよ降りてくれ。ムラコのファンだった我々はもちろん、ムラコが王者として、人気一番スヌーカをもてなすのがベストだと。これは秋にムラコがIC王者として、スヌーカを金網で迎え撃ち、ボブを抑えてMSGのメーンを構成する形で、現実にはなる。ということはボブはそこまで生き残ったということでもある。ボブはムラコとのリマッチを振り切り、その後は開き直るように、四面楚歌を遮二無二、古式泳法をし始める。
クルーカット、アマチュアシングレット、チキンウィング。強引にシュート技チキンウィングに持ち込みまくるだけのバックランド。ゴリラ・スティールにはジャックナイフロールを早々と決めて、39秒でMSGのメーンを終わらせた。キツネに抓まれたようなMSGキッズの顔が目に浮かぶ。不思議なことに、夏以降のバックランドの防衛戦自体、あまり記憶がないのだ。確かアイヴァン・コロフに、サージとの絞め技合戦・・・。ただ気がつけば、MSGのメーンはムラコ対スヌーカのIC戦になっていたことは憶る。そして、カズロウ・ヴァズィリがやって来る。
リング上の力量だけで食い下がる、ディヴィジョンⅡの王者様。夏の間、バックランド降ろしは練り込まれたのだろう。イランのオリンピアンであり、キャンプのコーチでもあった鋼鉄のシーク。コシティで事前に殴った後、キャメルに捕らえたところに、バックランドのマネージャーのアーノルド・スコーランが、すかさずタオル投入。遂にボブが落ちる。ハルクを手にしたWWFが、形振り構わぬ果実を齧った、スクリュージョブの一種にも見えた。
親指を釘に見立てて突き立てるという、復活ウマガのサモアンスパイクだが、これはムラコのエイジアティックスパイクがその原型である。バティスタのワイルドなスーツやグラス着こなしは、ムラコのクールさに通ずる。シナのスローバックは、若きムラコのエアプレンスピンのようだ。もちろんドゥエインの前のロックはムラコで、テイカーの前のツームストンきっての使い手は、ロビンソン譲りのムラコである。
イヤウケアゆかりのフライングソーセージ。巨体を舞わせるハイフライングドロップキック。パイパーに次ぐほどの口達者で、サーファーのビーチバム。その幻影が彼処にほの見えるほどに、ムラコは魅力的な個性の複合体だった。本来ならムラコの政権は、歓迎されなければならなかったのだ。
26年前のValentine's day。メディアを締め出したMSGで、ムラコは多分、即位するはずだった。バックランドの意地にも、それはそれで見所はあったが、ほとんど意味のなかったその後のボブレインは、ムラコのエラがあって然るべきだったと、あまりにも強く思わせずにはおかないものだった。
魅力的なムラコ時代を、待望する我々に見せられなかったこと。それはバックランドの頑張り以上に、VKMの、レスリング史に対する失態だったとも。二度と繰り返すまじ。26年前のSt.Valentine's day Massacreは、だからそれはつまりひょっとしたら、モントリオールスクリュージョブが生まれた日でもあるのか、と。
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