NWA & NZLT (2) | HWD+e

NWA & NZLT (2)

<前回から続く>


 89年くらいの時点で、正式に脱退も表明せず、活動停止もしていなかったメンバーは、大まかにAJ、オレゴン、プエルトリコ、アラバマ、EMLLくらい。しかしAJは一度ガイゲルのWWAと共同歩調を見せていたし、アラバマはCCWを作って実質独立、EMLLはペーニャによってCMLLに脱皮し、プエルトリコは独歩を固め、オレゴンはオーエン一家が遂に引退を宣言した。NWAは、アクティヴなメンバーがひとりもいない、有名無実の幽霊団体になっていた。90年の時点で、NWAは本当に幽霊になっていたと思う。


 ところが、たった一人だけ、メンバーが残っていた。幽霊団体にたった一人だけ。幽霊屋敷に、そこが幽霊屋敷になったことにも気付かないかのように、ポツンと取り残されたまま忘れられていたかのような幽霊メンバー。本当に、正式脱退の声明の機会すら与えられることも憚られるような、忘れら去られていたメンバー。本国アメリカの、大きなUS格タイトルとも無縁で、NWAレーティングになど入ったこともない、自らの団体や会社はもとより、ショーすら満足に打てていなかった田舎メンバー。外国の、ニュージーランドの、スティーヴ・リッカード。


 カイゲルやアドキッセンから比べれば、小物も小物だった。殆ど相手にされていなかったといってもいい。だからNWAが瓦解する過程で、誰も気にも留めなかったと思う。ニュージーランドのスティーヴ・リッカードはどう出るのか、などとは。多くの人は、リッカードのことなど知ったことではなかった。リッカードに何が出来るというハナシでもなかった。しかしその実、リッカードをしたたかなレスリングマフィアとして評価し、彼を切り札に密かに温めていた人物がいた。


 リッカードは、80年を迎える頃には、殆ど、少なくとも大きなショーを打っていなかったはずだ。かつてヴァーネットやルーイン、マリオ・ミラノらで旺盛を誇ったオーストラリアが下火になると同時期、NZLもほぼ終わる。南半球常駐の有名プロはほとんど途絶えた。時折、アメリカからルーインなどが帰り、単発のビッグショーが組まれる程度になっていた。


 そんなリッカードが、84年春に大きなショーをまとめて打つ。有名なフレアーvs.レイスの7連戦。8連戦だったか。オセアニアからシンガポールにかけて、タイトルチェンジ(現在のNWAはそう言っているが、当時のオペレーションは認めていなかった)を含む、一大ツアー。チンタオビアーをスポンサーに付けて、リッカードはこの勝負を大成功に導く。この時、リッカードはもとより、フレアーもレイスもきっとかなり稼いだはずだ。フレアーはこの時の、リッカードの手腕を強烈に記憶していたのだろう。稼いだボーナスの額とともに。誰が忘れても王者フレアーが忘れなかった。王者を王者としてトリートした、侯国のロイヤリティーを。


 どちらからどうかは分からないが、連絡を取り合っていなかったとはとても思えない。黄金の南太平洋ツアーの記憶。フレアーがスティングに負けた時、或いはジェイムズ・ハードと衝突してWCWをファイアされた時、すかさず真っ先に遠くNZLから、打電を打ったのはリッカードである。「我々NWAのメンバーは、引続きリック・フレアーを、世界王者と認めています」と。今思うに、これがほぼ死に体だったNWAが、完全に甦った瞬間だった。


<続く>


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