Diamond's forever
93年にWCWに帰って来たフレアーは、まずハリウッドブロンズとタグ戦。そしてウィンダムを撃ち破り、黄金のベルトを奪還。秋には遂に、リック・ルードとの初対決が実現する。
ルードとの2連戦。フィフィやブラスナックルなども絡んだが、フレアー久々のグッドマッチ。特に2戦目のハロウィンは、もしかしたらフレアー最後の、世界戦における名勝負、かもしれない。多種な見解はあるだろうが。
ルードはスーパースターの、直流の増幅系。何と言うのか、かなりの手練だった。最初から。ミネソタでカート・ヘニングやアーン・アンダーソンと同期で、彼らと同じように、こなれていた。スーパースターのようなビルダー系の割りに、レスリングの力量にも目を見張らせた。
筋肉のディフィニションというを売りがあったから、カートやアーンよりも早く売れた。84年にはテネシーで早くも、ミッドアメリカチャンプになり、マッチョマンとは一端の抗争。85年にはフロリダで南部タイトルと、ジェシー・バーとの伝説のUSタグティームチャンプ。JJファンクを請け負う前、赤いローブを羽織った紅顔のフロリダチャンプは、次期世界候補でもあった。
そして86年には、ダラスでアメリカンチャンプ。あのダラスで、初代ワールドクラス王者となり、あの時期のダラスの命運を託されたのは、エリック兄弟でもブロディでもなく、28歳のルードだった。ルードは、背後から肩に落す全力のエルボースタッブで、ブロディ相手にもベルトを渡さなかった。
87年にはJCPでワールドタグタイトル。#1ポールを付けた、レイジンブルとのNewR&R。LOD相手にも全く負けなかったはずだ。88年にはWWFに入り、89年にはアルティメットからICタイトルを強奪った。アルティメットとは90年にWWFタイトルフュードも敢行。WWF王者アルティメット唯一のライヴァルとして、あのアルティメットまで引っ張って見せた。91年にWCWに入った時は、いきなりスティングから、USタイトルを獲っている。
92年には、夏のG1-NWAトーニーで準優勝。そして93年には、遂にフレアーから、黄金のベルトを奪っている。ルードは実績で物を言うタイプのレスラーとして、今我々に語られている。世界各地でこれほどタイトル的キャリアを持つレスラーは、そうそういない。ルードはタイトルと真正面から向かい合ってこれを突破した、正統派の大実力者。最後にフレアーと好勝負して、フレアーを撃破し、リターンマッチまで退けた達者な史実が、それを雄弁に物語る。正統派らしいローブもよく似合った。
フレアーはルード戦の後、シドの穴埋めで、チーフブッカーに返り咲いた後でヴェイダーに挑戦、スターケードでWCWタイトルを獲る。が、せっかくのルードとのフュードの方を、もう少し観たかった気はした。それは心残る。
フレアー最後の、世界戦における好勝負で、忘れてならないのがDDP。フレアーが15回目のタイトルを失ってすぐ後、シャーロッテのナイトロでフレアーは、DDPに挑戦している。オールドファッションの攻防をした後、DDPが快勝しているが、何年か振りに観た、古のフレアーらしさだったことを憶えている。通算数ヶ月のDDPの世界王者史の中では、唯一のグッドマッチだったことも。
DDPも運動神経のいい、センスのあるレスラーだったが、何故かプロになるのが遅かった。ポールEのアシスタントやフリーバーズのローディー、AAAのコーディネーターなどを経て、ヴィニー・ヴェガスやダイアモンドスタッドのマネージャーをしていたが、ダイアモンドカッターを開発して、一気に開花した。フレアーをトリプルスレットで破り世界王者になるなど、94年のスーパーブロウルの前座でテリー・テイラーにゴロ巻かれていた時には、微塵も思いもしなかった。
スタナー、ツイストオブフェイト、RKO・・・。ダイアモンドカッターの文化がここまで広がるとも、思わなかった。ひとつの新技の開発の事件性を、今ここで噛み締めたりもする。ダイアモンドは永遠だが、などと・・。
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