皆様こんにちは、意外と資格を持っている事務員Kです。
実は国家資格も持っているんですが、使い道があるのは主に運転免許ぐらいですね。
根本的に見ず知らずの誰かの発言には、あまり重みがないじゃないですか?
例えばお医者様の判断で「風邪」と言われた場合と、素人に「風邪」と言われた場合は雲泥の差です。
有識者であること、ひいては能力の有無を目に見える形にしたものが「資格」だと考えています。
学歴も同じく入学難易度が高く、在籍し続けることが難しい学校ほど能力の証明になりますよね。
偽ろうと思えば出来てしまいますが、好んで偽る人は少数かと思います。
で、私が思うにですが...別に資格も学歴も無くて困らないと思っています。
あるに越したことはないですよ?ただ、言葉や資料を用いて能力を証明できるなら特段困らないじゃないですか。
適切ではない表現をあえて使いますが、「勉強の出来るバカ」というのは社会に出てからは通用しません。
学内での成績は良くとも社会に出てからは社交性であったり、教科書には載っていないことばかりを求められるからです。
ですので資格も学歴もあるに越したことはないですが、別になくとも困らないと考えております。
余談ですが取得して良かったなという資格では1番が運転免許、2番が簿記です。他はあまり使い道が......。
才能があっても周りに認められない理由の一つに、周りが評価できるだけの知識や経験を持っていないというのがあります。
芸術の世界でも生前は作品が認められなかったものの、死後に注目を浴びるという場合もあります。
誰もが認めざるを得ない圧倒的な才能があれば勝手に評価されていくんだと思います。
ただ、多くの場合はいくら才能があっても人目を浴びる機会がなければ評価以前の問題です。
ですから他者へ伝えるための言葉であったり、市場への理解ですとか色々な知識が必要になってきます。
それらを自身は持っていないと考えるのであれば、それらに長けた人に助力を求める必要がある...人脈が必要になります。
結局のところ能力が必要と言いますか、周りが無知であるから理解されないのではなく...自身が他者に理解をさせるだけの言葉も技術も持たないというのが正しいんだと考えています。
こういった考え方をしていると他者のせいにすることもなく、何事も自分事ですから色々な発見があります。
と、同時に現代の若者(若干お兄さんの私も含みます。)すぐにパワハラだなんだと騒ぐ前に自身を顧みろと言いたくもなります。
暴言や失言を受けてそれらに耐えろと言っているのではなく、信用や信頼を築く前に認められることはないというお話です。
雑用1つまともにこなせない人が、もっと難しいやりがいのある仕事を任せてほしいと言ってきても信用はないですよね。
なんなら仕事を任せた自分の責任になるかもしれないのに、所謂口だけの人に頼るわけもないわけです。
ちなみに...デリカシーのない発言を繰り返すとか、人として...器の部分は考慮しておりません。
人間性に問題のある人も世の中にはいますので、その場合は能力不足とかそれどころじゃないです笑