(夏の第1次探索から続く・・・)
はい、またやって来ましたよ~。
4か月後の11月の写真がこちら↑。
(まるで○分間クッキングみたいやね)
よし、これならアタックできそう。
という訳でいざ出陣♪
おお~。
いいですね。
いい旧道です。
1枚目の橋台跡を始め
いい感じに残ってくれてるんですよね。
パパンダさん的に言いますと
「特に竹やぶがイイ!」って感じでしょうか。
途中地元の方のイノシシ除けを鳴らしてしまって
大変失礼してしまいましたが
ほどなくして目の前が開けて
平場にさしかかります。
(に、見えない?^^)
と、その時ふと横に目をやると
え?暗梁?
それもかなり立派な。
旧道筋の上に、更に上を目指す暗梁?
・・・
そうなんです。
ここはこのすぐ上に見える馬の背を目指す
さらなる古道に当たる道への暗梁なのです。(電柱あたりが旧峠です)
おそらくこの隧道が穿たれる前までは
皆ここから鞍部を越え、奥の集落を目指した事でしょう。
またこの馬の背筋に沿って矢じりの先(向かって左ね)に向かえば
先に紹介した神社への道へとつながっています。
なのでここに隧道を通された方々は
この古道に最高の感謝の意を込めて
この暗梁を作られたのではないかな?と
ヤマダは思う訳です。
こういう先人の方の想いを見てとれる遺構は
やはりいいものですね。
おっと
そうでしたそうでした。
肝心の「穴」の方も探さなくては!・・・なのでした。
さて先ほどの平場もこのような有り様ですが
その奥を見渡せば
ん?
暗がり?
お!
おお~!
ありました。
今度はしっかりとしたアーチが♪
ちょっと植生がひどくて入りこめてないのですが
手を伸ばして、えいっ!
あ、失敬・・・
これでもかっ!
ほっ・・・^^
これなら見てとれますかね。
そんでもって、フラッシュを抑えてみると・・・
ああ、かすかに光が・・・。
あの7月に見た反対側の埋もれかけのアーチ。
ギリギリで貫通してたのですね(2004年現在のね^^)。
石積みの隧道技術は同じ界隈の林鉄で多く見られますので
そちらの技術を用いて掘削されたのでしょう。
でも、どちらかと言えば
徳島にある昭和初期の林業用道路の隧道(こちらも埋もれかけ)
に形状が瓜二つ
なので、時期的にはそちらと同じ時代のものかもしれませんね。
いや~。なんにせよ
しっかりと隧道として残っていてくれて
感謝感謝でございます。
と、いう訳で最後に考察をしてみますね・・・。
(次回に続く)