□大江戸隠密恋暦(おおえどおんみつこいごよみ)
①御用の白魚一
春、酣(たけなわ)
参勤交代によって全国の武士が集まった江戸の町は大賑わい。
十八世紀初めの頃には人口が100万人を超える世界有数の大都市になっていたんですと。
そのお江戸呉服橋を越えたチョイ先、現在の東京丸の内付近の道筋を、まだ二十代前半と思しき二人の若いお侍が双方から歩いてきました。
「……」
「……」
二人は北町奉行所の前で足を止め顔を見合わすと、軽く会釈をし、肩を並べて中へと入っていきました。
「はっ?我らが隠密廻り…でございますか」
本日町奉行から配置替えの沙汰があると呼ばれた座敷にて、二人のうち、体格が良い方の湯野湯野衛門が訝しげに顔をあげました。
加えて、もう一人の、妙に顔の整った色白の優男、金有在中乃進も、戸惑ったような声を出しました。
「あの、隠密廻りはもっと年配の方の役目と聞いておりますが…」
奉行所には定町廻り、臨時廻り、隠密廻りの三廻りという役がありまして、隠密同心は奉行直属で割りと古参の武士が成るのが常でした。
「よそはよそ、うちはうちじゃ」
北町のお奉行様は昭和のおかんのような采配で有名です。
「てやんでぃ」
背中には桜吹雪の入れ墨があると言われています。
「べらんめぇ、こんにゃろめぃ」
酷い江戸弁です。
若いころは粋でイナセでちょいとやくざな色男だったと…、あ、もういいですか。
で、
金さんは続けます、あ、もとい、お奉行様は続けます。
「若手のホープを敢えて隠して仕事をさせる。どうじゃ斬新じゃろよ」
天下泰平の成せる技です。
「斬新…て」
「つーかそもそもおめーらは目立ちすぎんだ。おめーらが雁首そろえて出勤するたびの外の騒ぎは何でぃ。ここは日産スタジアムかっつぅの。しかも二人とも良い年して妻も聚らずとは一体どういうこった、どうせどっかで遊び呆けて身を固めるのが勿体ないんじゃろう。だいたいおめーら、」
二人ともカッコイイ独身の同心ゆえ人気が半端ないんです。老いた奉行の妬みのこもった小言が始まる気配を察して湯野は咳払いをしました。
「あいやゴホン、とにかく。その隠密同心とは具体的にどのようなことをするのです」
どのみちこの時代、上司に言われたことは絶対服従ですので、すみやかに腹をくくりつつ湯野は真面目に聞きました。
「まー、色々よ」
「は?」
「色々。何でも屋。探偵、密偵、裏取り、囮、潜入、調査対象は代官から商人ヤクザ庶民まで色々でぃ」
「捕物は?」
「ない。調べて報告、それだけ。楽じゃろう?」
「楽って…」
出来れば悪人を追い詰めてきりきり締め上げ召しとる劇的なことがしたい湯野です。
隣の金有も苦い顔です。
「…楽ではあるけど何でよりにもよってこの二人なんだブツブツ」
「は?金有!なんか言ったか?」
「いえ別に」
「何やら不服そうな顔じゃねえか。オメーラその昔は良い相棒だったと聞いとるぞ?今は部所も違って疎遠だったろうが、どうじゃ久しぶりに会えて嬉しかろう」
「は、……」
「…………」
一様に形だけ頷く二人。何やら訳アリのようです。
お奉行様は構わず続けます。
「まぁ金有ならいざというとき女装も似合うだろうし、このいかつい湯野と一緒なら夫婦に見えんこともない、囮捜査なんかバッチグーじゃあねえか?ぶはははは」
「…あ、あははは」チラッと隣を窺う湯野。
「……(ギロッ)」
「あ、ゴホゴホッ、してお奉行、もう何やら任務は決まっておるのですか」
「おう、早速お上から調査の依頼が来とるぞ。なんでも今、巷ではある魚を食するのが流行っとるらしい」
「魚、でございますか」
「うん、しかもそれがご禁制の食い方ではないかとの嫌疑がかかっとる。ちょっとワシも意味が分からんが、オメーラはそーゆーのを調べるのが役目になる、ちゅうこった」
「魚の食い方…」
「本当にお上の依頼なんですか?こういってはなんですが非常に馬鹿馬鹿しい…」
「在中、言葉が過ぎるぞ」
湯野が金有を嗜めるとお奉行は笑いました。
「確かに俺もそう思うがよ、なにぶん今の殿様は若いから好奇心旺盛だ。庶民の流行りものの話が聞きたくてたまんねえんだろう。調査のための軍資金も北町と南町に出とる。殿が気に入った奉行所には更に補助金がアップされるときたもんだ。な、この北町奉行所が潤うも飢えるもお前たち次第だぜ。どうでぃ重要任務だろ?」
「はぁ、では、要は江戸先端の文化を調査すればよいのですね」
「うむ。中には流行りにかこつけて暴利を貪ったりご法度に手を染めやがる者も多いだろう、その辺りの調査も抜かるでないぞ」
「は、」
「は、」
というご下命をおびた二人は奉行所内にある衣装部屋へと向かいました。
潜入捜査のための様々な業種の衣装が揃っています。
「名のある料亭を攻めるなら、ここはどっか大店の若旦那っていでたちが無難かな」
金有が並んだ衣装を前に腕を組んで言いました。
「そういうのは俺は疎いからお前に任せるよ。在中は昔から洒落男だったからな」
「…………」
「何だ」
チロリとした金有の視線を浴びた湯野は首を傾げました。
それに金有はフ、と口元に笑みを浮かべ視線を衣紋に並ぶ衣装に戻しました。
「変わってないな、と思って。こうして話すの何年ぶりだろ」
「……二、三年とか」
「会うのは二年ぶり、会話は四年ぶりだ」
分かっているのに聞くタイプですね。
「……そんなに、か」
「うん。俺は?」
「ん?」
「俺は変わった?」
「あ、…いや、相変わらず、いや、益々その、綺麗になっ……」
「(ギロッ)」
「……っと。すまん、これ禁句だったな」
「本当には湯野は相変わらずだ」
「………。そうか。まぁ人間……数年やそこらでは本質は変わらぬ。
俺は今も昔も本音しか言えぬ男だ」
「…………//」
「何か気にさわったか?」
「いいえ何でもありません」フィッ//。
「…………💧」
敬語で返される威圧のみ感じてます。
そうこう微妙な雰囲気のなか金有は衣装を手繰る手を止めると、湯野へ見つくろった着物を渡しました。
「はい、じゃあ湯野はー、コレ。紺。俺は鴬色にする」
「相、分かった」
衣紋掛けを渡す際、金有の手ごと、湯野の大きな手が包みました。
「……(あ、)」
手が触れ合ったとき、思いのほか金有が慌てて手を引いたので、湯野は思わず詫びを口にしました。
「あ、すまん、」
「いや、いい…//」
「……えーと//」
「…早く着ろ」
「お、おう///」
「……」 「……」
二人は無言で後ろを向き、それぞれ着替えを始めるのでした。
つづく