「海が神だとは思えない」——
11月にうたう合唱曲の歌詞を聴いて、一番に思い出したのは宮城・松島の海でした。
浪人生だった18歳、青春18切符で千葉から宮城まで旅して、
乗り過ごして取り残された無人駅のホームから見た、凪の太平洋です。
松島海岸を過ぎて幾つか後の駅は、ホームから釣りができそうなほど海に近くて。
1時間後に来る戻りの電車を待ちながらぼんやりしている私に
近所の若いお母さんが声をかけてくれたのです。
「松島海岸まで送りますよ?」
お子さんをチャイルドシートに乗せて、特に用事があるわけでもない繁華街まで
見知らぬ娘を送るべく軽自動車を走らせてくれた彼女の温かさと、
凪いだ海の「ちゃぷん、ちゃぷん」という音が記憶に焼き付いて、
その時思いました。「いつか海の近く、のんびりした町に住もう」。
それから8年後、地震と津波が起きたのです。
あのお母さんが出てきた家はまさに海の目の前で、
絶対に津波の被害を免れない場所にありました。
小学生になったお子さんを連れて、無事に逃げてくださったでしょうか。
その後は避難所で暮らして、今は落ち着きを取り戻したでしょうか。
あの、灯火がともるような小さな温かさに報いる方法を知らず、
海を見る度に、ただひたすらに思うしかないのです。
「あのくらい、さりげなく、温かい人間でありたい」と。
それを実践することが、彼女と私の繋がりを具現化する、
いま私にできる唯一の方法だから。
また行きたいな。そして、ホームから手の届きそうな海を眺めたい。
皆の平穏な暮らしを祈りながら。
11月にうたう合唱曲の歌詞を聴いて、一番に思い出したのは宮城・松島の海でした。
浪人生だった18歳、青春18切符で千葉から宮城まで旅して、
乗り過ごして取り残された無人駅のホームから見た、凪の太平洋です。
松島海岸を過ぎて幾つか後の駅は、ホームから釣りができそうなほど海に近くて。
1時間後に来る戻りの電車を待ちながらぼんやりしている私に
近所の若いお母さんが声をかけてくれたのです。
「松島海岸まで送りますよ?」
お子さんをチャイルドシートに乗せて、特に用事があるわけでもない繁華街まで
見知らぬ娘を送るべく軽自動車を走らせてくれた彼女の温かさと、
凪いだ海の「ちゃぷん、ちゃぷん」という音が記憶に焼き付いて、
その時思いました。「いつか海の近く、のんびりした町に住もう」。
それから8年後、地震と津波が起きたのです。
あのお母さんが出てきた家はまさに海の目の前で、
絶対に津波の被害を免れない場所にありました。
小学生になったお子さんを連れて、無事に逃げてくださったでしょうか。
その後は避難所で暮らして、今は落ち着きを取り戻したでしょうか。
あの、灯火がともるような小さな温かさに報いる方法を知らず、
海を見る度に、ただひたすらに思うしかないのです。
「あのくらい、さりげなく、温かい人間でありたい」と。
それを実践することが、彼女と私の繋がりを具現化する、
いま私にできる唯一の方法だから。
また行きたいな。そして、ホームから手の届きそうな海を眺めたい。
皆の平穏な暮らしを祈りながら。