68年前、一人の女性が空襲の中で機転を利かせなかったら、
私は多分この世にいませんでした。
父方の祖母は、68年前の今日、足立区に住んでいました。
1945年3月10日のことだと思うのですが、東京大空襲があったとき、
足立区も焼け野原になったと聞いています。
暗闇の中で焼け出された人たちは、一斉に荒川や隅田川に向かって飛び込んだのだそうです。
私のおばあちゃん、当時は今の私よりずっと若かった彼女は、
後輩の女の子達を連れて、必死で皆と反対方向、千葉の方面へ逃げました。
皆と逆の方向です。何か、感じるものがあったのでしょうか。
千葉の知り合いの家に着いて休ませてもらい、おにぎりを食べさせてもらって、
翌日、東京へ戻ったのだそうです。
川へ逃げ込んだ人たちには、凍死・溺死した人が多くいました。
いつだったか、その時のことを少しだけ話してくれた祖母が口にした言葉が、
私の胸にずっと残っています。
「道を歩くと、人がみんな焼けててねぇ、みんなチョコレート色なの。
あれを見たらねぇ、おばあちゃん、もう何も怖くなくなっちゃったヨ 笑」
そういってカラカラと笑う祖母。
彼女はその後も、沢山の、本当に沢山の苦労をして家族を守ってきたはずですが、
怖い思いをしたときはいつも、遥かに怖い「あれ」を思い出していたのでしょうか。
飛び散る焼夷弾に体を貫かれて燃え上がり、
ガソリンの詰まったナパーム弾に巻き込まれたりした人達、
川を遺体が累々と流れていく光景、昨日までの町が嘘のような黒い炭の焼け野原、
私が幾ら想像を巡らせても
モノクロームの絵物語でしかないその風景、その心地を、
頭と体の中に保存し続けてきた彼女も、もう90歳を超えています。
たまに会いにいき、浮腫んだ彼女の手を握るたび、
「おばあちゃんの見たものをデータとして私に移せたらどんなにいいだろう」
と、無茶なことを思うのです。
私たちは、どんどん忘れていってしまうから。
政治の失敗、偉い人の指図ひとつで、いとも簡単に人間が炭になる悲劇のことを。
私は多分この世にいませんでした。
父方の祖母は、68年前の今日、足立区に住んでいました。
1945年3月10日のことだと思うのですが、東京大空襲があったとき、
足立区も焼け野原になったと聞いています。
暗闇の中で焼け出された人たちは、一斉に荒川や隅田川に向かって飛び込んだのだそうです。
私のおばあちゃん、当時は今の私よりずっと若かった彼女は、
後輩の女の子達を連れて、必死で皆と反対方向、千葉の方面へ逃げました。
皆と逆の方向です。何か、感じるものがあったのでしょうか。
千葉の知り合いの家に着いて休ませてもらい、おにぎりを食べさせてもらって、
翌日、東京へ戻ったのだそうです。
川へ逃げ込んだ人たちには、凍死・溺死した人が多くいました。
いつだったか、その時のことを少しだけ話してくれた祖母が口にした言葉が、
私の胸にずっと残っています。
「道を歩くと、人がみんな焼けててねぇ、みんなチョコレート色なの。
あれを見たらねぇ、おばあちゃん、もう何も怖くなくなっちゃったヨ 笑」
そういってカラカラと笑う祖母。
彼女はその後も、沢山の、本当に沢山の苦労をして家族を守ってきたはずですが、
怖い思いをしたときはいつも、遥かに怖い「あれ」を思い出していたのでしょうか。
飛び散る焼夷弾に体を貫かれて燃え上がり、
ガソリンの詰まったナパーム弾に巻き込まれたりした人達、
川を遺体が累々と流れていく光景、昨日までの町が嘘のような黒い炭の焼け野原、
私が幾ら想像を巡らせても
モノクロームの絵物語でしかないその風景、その心地を、
頭と体の中に保存し続けてきた彼女も、もう90歳を超えています。
たまに会いにいき、浮腫んだ彼女の手を握るたび、
「おばあちゃんの見たものをデータとして私に移せたらどんなにいいだろう」
と、無茶なことを思うのです。
私たちは、どんどん忘れていってしまうから。
政治の失敗、偉い人の指図ひとつで、いとも簡単に人間が炭になる悲劇のことを。