以前、世田谷ものづくり学校の元校長・松村さんとお会いしたことがあって、
キャペッズ事務局活動についてコメントをいただいたことがありました。

「どうやったら、キャペッズの活動に人とお金が集まるんだろう?」

漠然としか考えられない私に対し
松村さんがバシバシ突っ込んでくださった中に、こんな言葉がありました。


「あなたは、自分の私財を投げ打ってまでその活動をしてるんでしょう?
 それは、その活動に価値があるからでしょう。
 人を巻き込みたいなら、そのヒントはあなたの中にあるんですよ。

 大体、そんなに価値のあるものを、あなたは独り占めしてるんだよ。
 それはズルい。皆と分けるべきだ。」



ガツン、と頭を殴られたような気分、
気が遠くなるような感覚に陥ったのを覚えています。


そういえば、そうだ。
でも、そんな風に考えたことなかった。
いつも、「分かって欲しい、お願い」と下手に出ていた。



その対談イベントが、4/21のこと。
それからずっと、考え続けています。


「この活動が、自分に与えてくれるものってなんだろう?」



その答えはきっと、毎日見つかる。新しいものが、どんどん。
それは確かなことだと思っていて、


つまり、毎日が「未知との遭遇」。
「あぁ、目が見えないと、世界はそうなんだ。」
「あぁ、スーダンって、こうなんだ。」
「あぁ、こどもって、そうなのね。」


それから、誰かの「出来ない」が一つ、世界のどこかで消えるとき、
誰かの「出来る」を一つ、目の前で魅せつけられたとき、

ぞわぞわっ、と鳥肌が立つ。一気にハイになる。目からしょっぱい水が出る。笑
そういう風に、私は出来ている。




「新しい目線を与えてくれる」
「人間の可能性を見せてくれる」

ということで元気になるひとは沢山いるんじゃないかなぁ。
昨日、ダイバーストリートの成澤さんのご紹介でお会いしたSさんは、
保険会社でバリバリ働いて、大阪と東京を往復して、家族も大事にして、
更に「劇団さくら」の広報活動もガツンとやっている38歳のお兄さんでしたが、

「仕事で忙しいのに、どうして知的障がい者の劇団を手伝っているのか、
 どうして私財を投げ打っているのか、訊かれませんか?」

と訊いてみたら、
やっぱり「彼らが人を元気にするから」とおっしゃっていました。

「お遊戯」でない、ホンモノの劇を、知的障がい者が創り上げる。
「助けられる」側が、「人に元気と勇気を与える」側になる。

全力投球で熱いSさんとのお話は「うんうん、そうですよね!」の連発で、
ものすごく勇気づけれられるひとときとなりました。




……そして、元気づけられながらも思う。
ホントは、「障がい者に元気づけられる」社会は、勿体無い社会です。
それは「彼らが弱い存在である」ことを前提に置く社会だから。

最終的には、何人だろうと、どんな人だろうと、
「出来る」ことを前提に、等身大でぶつかりあえる社会であって欲しい。


そこを目指すために、私はキャペッズに身を投げ込んでいるわけです。
パレスチナ問題だって、子どもの問題だって、同じこと。
私が生きてるうちに解決はしないでしょうが、
それでも動かずにはいられないんでしょうね。笑




それにしても、私は本当に環境に恵まれています。
考えるべきことを考えさせてくれる、話すべき人と繋いでくれる、
たくさんの素敵な人達が身の回りにたくさんいます。
どうやってお返ししたらいいのか、分からないくらい。
菓子折り破産しちゃうかもしれない。笑