こんばんは!
インフルエンザもタミフルのおかげでばっちり解熱され、
「外に出たいー!」とうずうずしているところを
「トドメを刺すまで大人しくしていたほうが…」
「菌が一週間ほど体内に潜伏するから安静にな」
と方々から見透かされたようなアドバイスを受けているナミキです。


さて、ナミキは12月から先週まで、
(財)国際開発高等教育機構」というところで
国際協力基礎コース」というものを受けていました。

人間の安全保障から日本の環境支援、そして教育支援戦略まで、
幅広い10のトピックで、第一線で活躍される先生方にご指導いただきました。
その中から、CAPEDSの活動に絡めて考えたことをひとつ。

*  *  *


国際協力に興味のある人ならおそらく一度は耳にしたことのある、
ミレニアム開発目標」。

2015年までに世界が達成しようと誓った、8つのゴール。
全部を扱うのは難しいので、ここでは1つだけ。


2つめのゴールである「普遍的初等教育の達成」
これは具体的には
「2015年までに、世界中のすべての子どもが男女の区別なく
 初等教育の全課程を修了できるようにする」

という状態を目標にしています。



簡単そうですか? 難しそうですか?

学校に行けない、ということは、
本人が行きたくてもお金がない?
家族が行かせたくても、時間がない?
家で、外で働いて、家族を養わなきゃいけない?

先進国が途上国の債務を帳消しにしたら、
世界の軍事費を3日分割いたら、
全ての子どもが教育を受けられる?


私も今までそんなイメージを持っていて。

でも去年初めて

「そうか、それだけじゃないんだ」
「だから『全ての子どもに教育を』がなかなか達成されないんだ…」


と悔しくも痛感させられ、そしてFASIDの講義を経て確信したことを、
今回はちょっと書いてみようと思います。



私たちが支援をしている、スーダン唯一の国立盲学校「エルヌール盲学校」。

エルヌール盲学校の校門をCAPEDSスタッフが入っていくところ。

エルヌール盲学校の授業風景。右左に男女で分かれ、合計10名ほどの生徒が座っている間を先生が通る。生徒の机の上に教科書はない


ここはハルツーム州の連邦政府によって運営されていて、
教育省の管轄で、1学年10人、1年生から8年生までの視覚障がい児を受け入れています。
(スーダンは小中学校が一緒で、初等教育が8年なのです)


写真を見ると教室はキレイなのですが、
ここは本当に何もない。
資源も、設備も、技術も、もちろんお金もないのです。


教室は、スーダンの大手電話会社「Sudatel」の寄付によって
キレイに整備されています。
(Sudatelのマークは1枚目の写真、門の看板右上に入っています)


一方でどれくらい「ナイナイだらけ」なのかというと、

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●点字板が1人1枚ない
  生徒がノートを取るために必要な、点字を打つ道具が足りない。
  ※点字板は上の2枚目の写真の、左手前の子が机に載せています
●点字教科書が足りない
  書く学年に3冊程度、つまり3、4人で教科書をシェアして勉強している。
  受験生すら自分のテキストを持たない。
●寮の食費が足りない
  校内の寮の食費が足りず、新聞広告で寄付を募ることもしばしば。
●技術が足りない
  Sudatelから寄付された16台のパソコンを誰も使えない。
●設備が足りない
  点字教科書を印刷する年季の入ったBraille Embosserが故障している
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てな具合。こ、国立なのに。。。。そんなもんなの??




でも、これだけだったらまだ
「日本で教科書を点訳して送れるかな…」
「先生方にトレーニングをすれば…」
「点字印刷機を買えるよう、助成金を取れるかな…」

と思うじゃないですか。





私が一番どえらい衝撃を受けたのは、
盲学校の先生がさらりと言った次の一言でした。


「スクールバスも古くなってね、
 たまに止まってしまうんだ。
 そうすると子どもを学校に連れてこない親もいるよ」





障がいを持つ子どもに教育が必要なことを分かっている親なら、
近所の人に頼んででも、タクシーを呼んででも、
一緒にラクシャ(トゥクトゥク)に乗ってでも学校に届けるでしょう。

つまりそれって、
単にスクールバスが動けば良いって問題じゃない。
学校にファンドがつけば良いって問題でもない。



「障がいを持っていても学べる」
「障がい児が学ぶことには大きな価値がある」


という意識を、親と共有しきれていないせいなんじゃないか、




そう思うのです。
障がいを持っていれば、健常者と同じように単純肉体労働で稼ぐことは難しい。
だからこそ、いつか自立するためには
専門知識を身につけていくことがきっと強みになるのに。




そもそも、この盲学校に通える子どもたちはラッキーなほうです。
だって、各学年で試験に受かった10人しか通えないんだもの。
ここに入れば、点字を教えてくれる。自分でノートを取る術が身につく。
同じような子どもたちとのネットワーク、学校に蓄積したノウハウが一応ある。


ここに入れない視覚障がいを持つ子は、普通学校に入るしかない。
先生も点字を知らないし、周りの子どもたちも点字を知らないから誰も教えてくれない。
点字教科書なんて手元に届かないから、普通のを周りの誰かに読んでもらうしかない。
試験も、誰かに代筆を頼むしかない。
黒板に書かれた図形は、うまく説明してもらわないと分からない。

必然的に、勉学の質や量が周りに左右される。
そんな中で、どれだけ高い成績を修められるんだろう?
将来の夢を、勉強の継続の可能性を、どれほど感じられるんだろう?
ドロップアウトしたって仕方ない。




*  *  *



「全ての子どもに初等教育を」届けるために必要になるのは、例えば障がい分野で、


「勉強したってしょうがない」という意識に囚われた
子ども自身や親、教師を変えていくこと。

「勉強を続けたら、自立できる可能性が拓ける」ということを
実体験と共に伝えていくこと。



現場に立つと、スーダンの首都・ハルツームという場所だけで
この作業がとても気の遠くなるようなものに感じられるのです。
一人ひとりの親に働きかける。
やる気無さ気な教育省に取り持ってもらって、先生に働きかける。


まずは、これをハルツームで。
そしてスーダンで。東アフリカで。アフリカで。世界で。
「全ての子どもに」って、そういうことでしょ?



そして、MDGsを掲げるひとは、同じような課題を、
先住民族の子どもや、紛争地帯の子どもや、遊牧民の子どもなどに対しても
感じ、解決策を考え、実行し続けていかなきゃならない訳です。




そんなことを考えたら気が遠くなって、
軽々しく「全ての子どもたちに初等教育を」なんて、
とてもじゃないけど言えないような気がしてしまって。

それは貴い目標として心の中に仕舞って、
私はCAPEDSで、今やるべきことに向きあって、少しずつ目指していこう、

そう思ってしまいました。








FASIDで受けた早稲田大学教授の黒田一雄先生の授業では、
「国際教育協力政策・戦略」について学びました。

こういった子どもたちは、「Last 10%」「Last 5%」などと呼ばれているそうです。
これまでのやり方で就学政策を推し進めても学校に通えない子どもたちは、
障がいや不定住、少数民族などの複合要因を考えて、対策を練らなければいけないということです。





私達がCAPEDSで取り組んでいることは、当事者の想いから始まりながらも、
大きな枠組で見ればこの「Last数%」に大きく関連する問題です。



大きな目標の実現を考える上でも、
今年は「Think Locally, Act Locally」でいきたいと思ったナミキでした。
スーダンから、全世界の子どもの教育のことを考えます。

長くなっちゃった。おしまい。