いつもありがとうございます
『のに』が語尾につくと愚痴になる

わかっていた筈なのに、つい出ていたようです

ある気心しれた経営者の方と、人間関係の悩みを話した翌日、
お礼メールの返信にこんな素敵なお話が送られてきました

↓↓
ある寺の住職のところに
商家の小僧さんが不満をぶつけに来ました
「私は店の主人や、お客様の為に一生懸命つくしているが、誰もそれを認めてくれません
まだ働きが足りないと言います
その上主人は、
お前は家族同様で十分すぎるほどいろいろやってやっている
それで何が不満なのか・・といいます
本当に頭にきます
」
それに対して住職は

「与えるものと、受け取るものとでは感じ方が違うからですよ」
と、こんな話をしました
人は、自分が十分尽くしたと思った時は
相手は八分感じておらず
また、尽くされた自分が、八分だと感じた時は
相手は十分に尽くした、と思っているという事です
自分の十分の感覚を基準にしていたら
永遠に不満は解決されない
人には十二分に尽くし
自分は、八分で満足する事が人間関係の心構えでもあるのですよ

うっ

「人には十二分に尽くし
自分は、八分で満足する
確かに大事な気がします

『のに』が語尾につくと愚痴になる


わかっていた筈なのに、つい出ていたようです


ある気心しれた経営者の方と、人間関係の悩みを話した翌日、
お礼メールの返信にこんな素敵なお話が送られてきました


↓↓
ある寺の住職のところに
商家の小僧さんが不満をぶつけに来ました
「私は店の主人や、お客様の為に一生懸命つくしているが、誰もそれを認めてくれません
まだ働きが足りないと言います
その上主人は、
お前は家族同様で十分すぎるほどいろいろやってやっている
それで何が不満なのか・・といいます
本当に頭にきます
」それに対して住職は

「与えるものと、受け取るものとでは感じ方が違うからですよ」
と、こんな話をしました
人は、自分が十分尽くしたと思った時は
相手は八分感じておらず
また、尽くされた自分が、八分だと感じた時は
相手は十分に尽くした、と思っているという事です
自分の十分の感覚を基準にしていたら
永遠に不満は解決されない
人には十二分に尽くし
自分は、八分で満足する事が人間関係の心構えでもあるのですよ


うっ


「人には十二分に尽くし
自分は、八分で満足する

確かに大事な気がします
