いつもありがとうございます得意げ



ようやく子供を寝かしつけて、持ち帰りの仕事をやる前に

コーヒーブレイクしながら、めったに見ないテレビをつけたらドンッ



な、なんとベストハウス123に、あの鎌田茜ちゃんが出てた!


ちょうど亡くなられて1年・・・。


テレビ見ながら、母としての愛の深さ・・・

小さな子供をもつ親として、号泣しちゃいましたしょぼんあせる



鎌田茜ちゃんとは・・・


看護士をしていた22歳の時に、悪性リンパ腫が発覚し、

この時、初めて余命宣告。


でも、癌と闘い、半年後になんとか職場復帰!


そして、中学校の同級生だった夫 守さんと結婚。


1年後にお腹の中に新しい生命誕生・・・しかし、流産・・・汗


悲しくて、悲しくて。。。もう一度、新しい命を与えてくださいと
願って、8ケ月後に与えられた、新しい命合格


しかし・・・左顎下に腫れがあるのに気づきました。
2006年3月のことでした。またしても、癌・・・あせる


子供をあきらめなければ、茜さんの命の保証はない・・・と
医師に告げられ・・・


6月、襲いかかる激痛に耐え、妊娠17週目に入るのを待って手術。
胎児がいたため麻酔の追加ができず、腫瘍の一部を残して
傷口が閉じられました。


でも、茜ちゃんが下した決断は、
子供を生むまで、一切、癌の治療をしないことでした。


癌の治療をすれば、子供に障害が残るかもしれないと思い

その後、5ヶ月も激痛を耐えながら、必死で闘病。

守さんの腕には、はっきりと茜ちゃんの指で強く握られた

青あざが・・


「アイスピックで突き刺されているような痛みでした」とか・・

それだけ激痛に苦しみながらも、

その間も、お腹の子供に優しく話しかけた・・


そして、癌の痛みに耐えて、憩(かい)君を出産。

その6日後に癌の切除手術をし、1週間後に

かいくんを抱っこして退院。スゴイっドンッ


これで全快してくれたら!!!


でも、そんな幸せな3人の生活にクリスマスに突きつけられた
2回目の余命3ケ月の宣告。肺に癌が転移。


そんな状況下にあっても、

「憩(かい)のために、死ぬわけにはいかない。
 この子の記憶に残るまでに私は生きなければならない」


と、ビデオに自分の姿をとり、かいくんにメッセージを残し

ながら、一生懸命に生きる。


2008年12月のホノルルマラソン参加は僕も本当に

行って欲しいと思っていました!!


杉浦たかさんが結婚したあのマラソン。

茜ちゃんも本当にいきたかっただろうに・・・・・


でも、2009年2月に永眠されました・・・。


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改めて、必死でかいくんにメッセージを送る姿を見てたら、

もう涙、涙、涙あせる



ほんとに、親としての生き様、一日、一日を大切にして生きる事の

大切さ、いのちの重たさ、生きる事への努力

いろんな大切なことを改めて教えてもらいましたアップ

どうぞ、安らかに眠ってください