うーん今日はバイトから帰ってきて
自分の中のいたい、ところをまた突かれた
普通に自分の弱点
わかってるけど実行しなければわかってないやろ、の辛いところ
でも実行しないのは思いやりがないんだ
40年働いた身に感謝を伝えず
それでも自分はせめて、出て行かずもせず
ここに居座るんだわ
根から腐ってるのかもしれず、もうどうでもいいのかもしれない、
簡単に開き直れる明るい悪かもしれない
思ったのは
園映画は、もう始めの地点から違うから
価値観がいわゆる一般的、普通というところにないから
そういうところに自分の認めた悪をどこか
否定されない救いの要素を感じてるのかもしれないな
どこか壊れた人とか犯罪者でさえも
一般的に異常と見なされる人を完全に線ひいてないし
どういう心でいればいいのかがわからないけど
自覚だけしてる
自覚はいいことだけではない、辛さもまわってくる
バイト帰りのチャリで聴いた
charaのLabradorの色にそめられたい
私の恋感だ、とメロディに感じたし
違う次元でああいう世界が自分のつんとした心の弱いところに合ってる
すごく青春を感じるのに
青春は終わってしまっている、と立ち止まってとても悲しいのだが
人はどういう悲しさを感じているんだろうな
悲しさは、ことばでしか表現を共有していないけど
個々人で抱える質は幅広く違うんだろう
私の今の悲しさは
今日の暖かさがなかったように吹雪?
いいや誰も知らないずっと冷たい湖の底だ
静かすぎる