だれかのことを想う。そのときそのひとの顔とともに声が聞こえてくる。

何かの台詞というよりも、からから笑う声とか声のぬめりとか。

そう、声のきめとでも言うべきものが。

顔も声も、ということだろうか。いやちがうとおもう。

声がそのひとの<顔>として現れてくるのだとおもう。


<顔>とは顔面のことではない。

<顔>を思い浮かべるとき、顔面の子細が浮き上がってくるわけではない。

毎日見なれている家族の顔でも眉毛がどうだとか耳のかたちがどうだとか言われると、

それを図解することも、ことばで再現することもできない。

<顔>を知っているということは、その造詣を細部まで熟知しているということではないのだ。

そしてだれかの<顔>はときに、そのひとの漠とした後ろ姿でも掌のたたずまいでもありうる。

だれかの<顔>はその人の顔面のことではなくそのひとのことを想うときにかならず響いてくるものであれば、

それはそのひとの<顔>だと言ってよい。

「きめ」は「肌理」とも書くが、まさに声はわたしの皮膚にふれてくる他者の<顔>なのだ。


鷲田清一


~臨床とことば~ 河合隼雄 鷲田清一




大好きな声に繋がるタイムリーで素敵な視点の詰まった抜粋をここに捧げて



24歳コウラくん


最近、もうちょっとかっこよくなくてもよかったのになあと思う

その方がもってるものがもっと魅せられたんじゃないか、とか

モデルじゃないからな


確かに声の肌理に含められた<顔>発想って私の中のコウラくんの<顔>もなのだが!



コウラくんの整理


どれだけ代謝が上がるかで演技のダイナミックさが変化するからおもしろい

ただ、意識しないでいることがかえって意識を高めちゃう場合に

それがたまに忠実に画面に透けてちょっと残念になる


代謝ってアドレナリンだな

演技がゆらゆらしていてもいいから、むしろゆれていてもいいし

大事と思うのは意識しないことじゃなくて意識というもの忘れるくらい没頭できること

余計なものはアドレナリンの妨害になるからなあ


そんな・・アドレナリン画面をみれたらもう、

好きです



今私の中で流行の言葉、メタ認知


コウラくんはこの濃度が高いね

私もなかなか濃いよ


でもこれが濃いのは一見ややこしい人かもしれないけど

感性を身体レベルで発せられるから

すごくポジティブな潜在さ=未来性を感じる


今を生きること、今を生きている感覚はもちろん大事だが、

未来を感じさせる、におわせることって大事

でもこれって、自分目線じゃなくて他人目線なんだよな


私は、コウラくんをそう感じている他人だから

そう思われるコウラくんよかったねって・・


なんだそりゃ




おたんじょうびおめでとうございます