涙の共有 | 是非に及ばず

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私の思う共有とは「共に有る事」

普通は悲しみの共有なんだろうけど
悲しむのは一人でココロの中ですればよい

一緒に悲しんでいても
そこには何も生まれない

でも涙の共有は違うと思う

父が癌と闘っている時は、決して父の前では泣かないと決めていた

母と二人っきりの時にも泣かなかった
母は泣いていたけれど、それは当たり前
自分の伴侶なんだもん

私は両親を支える事に徹すると決めた時点で泣かないと自分に言い聞かせた

泣く時は一人
トイレの中
病院から駅までの道中
バスルームの中
お布団の中

父と一緒に泣いたのは
息を引き取った時
二人っきりにしてもらい
父の手足の爪を切りながら
二人っきりで泣いた

勿論、父さんは無言だよ
お星さまになったんだから
でも、親子の涙の共有が必要だったと思うの

父さんは私の腕の中で深夜00:00キッカリから00:45まで生き続けてくれた
全く苦しむ事なく、逆に微笑んでいたのには驚いた
流石、父さんだなぁって感心してしまった

母、妹、私の旦那が一生懸命に声をかけ続けてくれたけど、父さんの指が私の手を握った時に決心したの

母に「もう、お父さんを眠らせてあげても良い?」と聞くと母も「そうやねぇ」って

海老蔵さんは麻央ちゃんに「愛してる」と告げられて旅人になった

私の場合は父さんに「愛してる。ありがとぅ。お父さんおやすみなさい」と告げ、額に口づけをした

チビの時に父さんがキスをよくしてくれたから(笑)
御返し。

父さんに最期の引導を告げたのは私なんだ
すーっと微笑みながら寝ちゃった

その時私達家族は不思議な事に悲しい涙と共に父さんの笑みを浮かべた死に顔を見ながら半分は笑い涙も混ざってたんだよね

父さんがくれた最期の微笑み
父さんらしいなぁ~
生前「父さんが死んでも泣くなよ」と言ってた

有言実行

でも、最期は父さんと二人っきりで泣きたかったから二人っきりで…。
ほんとは父さんも沢山涙を流したかったと思うんだよね

A君の場合は違った
A君と一緒に居る時はずっと笑顔で

A君の妹さんと居る時は彼女の悲しみと
涙を共有した

人には時と場合が有る

最愛の母を亡くしたお子様達と海老蔵さんは一緒に泣いてあげて下さい

海老蔵さんが泣きたい時はお子様達と一緒に泣いて下さい

親は子の涙を受け入れる事が出来ます
大人だから

でも、小さなお子様達も親の涙を受け入れる事が出来るのです

親の涙を見ると、勿論子供も反応して泣きます

でも、そこに子供ならではの感性が生まれます

小さな子供は純粋です

自分の父が泣いていると
「どうしたの?なぜ泣くの?泣いているの?」
と大人には無い力強さが働く

父が、涙を流す理由も驚くほどに半分引き受けてくれる強さを持ち合わせています

だから涙の共有は大切

悲しみの共有は一人で
若しくはココロの通じ合う人と

大阪公演楽しみにしています